3年生の金曜日の授業で、買い物をした時のお釣りに関する問題を出しました。
86円の買い物をした時に、100円玉で払うと、お釣りは14円。
おそらくお店の人は、10円玉1枚と1円玉4枚を返してくれるので、
受け取る硬貨の枚数は全部で5枚。
これではお財布の中がジャラジャラしてしまうから、少し工夫をしてみよう!
と、こういう意図の問題でした。
もちろん、お財布の中に入っている硬貨の種類と枚数にもよりますし、
最近は、カードやpaypayで支払う人も多いと思いますが、
それでも日本人は、こういう時にスッと101円を差し出すことが多いようです。
でも、3年生くらいだと、まだお買い物をしたことが無い子や、
一応おつかいをしたことはあるけれど、
硬貨1枚とか、お札1枚だけ渡されてのことしかないようで、
問題の言わんとするところがなかなかピンとこないみたいです。
というわけで、説明をしてみたわけです。
「86円のお買い物をするよ。100円玉で払うと14円のおつりだね。そしたら、
お金は全部で5枚返ってくるよね。じゃぁ、わざと101円で払ってみようか!
101−86=15だから、お金は10円玉1枚と5円玉1枚、合わせて2枚だね!」
と、式を書いて、返ってくる硬貨をイメージさせると、
「おぉ~!」「ほんとだ~!」と驚いた声、歓喜の声が!(かわいい!(≧∇≦))
これこれ!これが大事!って思うわけです。
こうやって、新しい発見をした時に、いちいち驚いたり感動したりできるって、
とっても大切なことだと思います。
点数が何点だとか、順位や偏差値がどうだとか、
問題を解けるようになったかどうかとか、課題が終わったかとか、
そういうことばかりになってしまうと、新しいことが増える度に、
「またおぼえなきゃいけないの?」と、それを苦痛に感じたり、
あるいはもう、苦痛さえ感じることのないように、
(自己防衛本能で)無感動・無関心になったりしていきます。
もちろん、受験勉強の最後の最後は、
おぼえなきゃいけないこともあると思います。
問題を解けるようにならないと勝負には勝てないです。
しかし、それは本当に最後の最後です。
知らなかったことを知ることは楽しい。
その気持ちを大切にしていきたいです。