100点満点のテストで、普段10点しか取れないような子が50点取れたら、
きっとめちゃくちゃ褒めると思う。
しかし、いつも満点の子が50点なら、叱る可能性もある。
同じ50点でも、対応が真逆になるわけだが、
これに対して「公平性を欠く」「ひいきだ」と言う人はあまりいないと思う。
しかし、ここまで極端な例でないと、理解してもらえないこともある。
「ウチの子は、先生からなかなか褒めてもらえない。」
「先生から褒められるとヤル気が出るみたいなので…」
「もっと褒めてもらえませんか?」
と、こういうことを言われる時はよくあるのだが、
褒めないということは、その程度のことができたって…と、
上から目線で接しているのではなくて、
もっと高いレベルでその子のことを認め、期待しているということなのだ。
学力の高い子が上位校を目指すことに反対する人はいない。
学力が高く、かつ目標が定まっているような子には、レベルの高い教育を…
と考えるのは、自然な流れだと思う。
しかし、そのレベルの学校に合格するためには、いくら学力の高い子であっても、
ハードな勉強をしなければならないのは事実なので、
指導する側も厳しさをもって接することになる。
「いいわねぇ!できる子は!」
(学力の高い子は勉強が得意なのだから、入試に対しても不安や心配など無い!)
と思っている人には伝わらない話であるが、実際は
上位校に合格するための勉強の方が、質も量もよっぽどハードになる。
だから、ちょっと優秀だからといって、甘やかしたり、祭り上げたり、
叱るべき時に叱らなかったり…というわけにはいかない。
要は、この厳しさを自分にとって意味のあるもの、
価値のあるものとして捉えることができるかどうか、が重要である。
(度を越えたパワハラまがいの厳しさのことを指しているのではない。)
例えば、100点満点のテストで99点を取った上で、全く褒められないどころか、
その落とした1点に対してお説教を受けたとしても、
ヤル気を失ったりせずに、その1点に対して悔しがり、
その1点を二度と落とさないようにするための努力をする。
そういう子になって欲しい。
褒められたい、認められたいという欲求を否定しているわけではない。
褒められないと、ヤル気が出ない時期もあるだろう。
しかし、そればかりになってしまって、
ちょっと厳しいことを言われたら、不貞腐れ、ヤル気を失うようでは、
難関校のレベルには到達できない。
厳しさの中に身を置く覚悟を持てるかどうか。
その覚悟さえあれば、学力は後からでも伸ばせる。