必ず全員そうだとは言わないが、
平均して1、2ヶ月もサーパスに通ってもらえれば、
この子はおそらく〇〇中学に合格する(くらいの力が着く)というのが見えてくる。
5年生であっても、4年生であっても、それは変わらない。
この子はフェリスに合格する!と、4年生の時点で確信できる子もいるし、
この子は、浅野は厳しいけれど逗開までは届く!とか、
この子は、鎌学にちょっと足りないかな!というように、
塾通いを始めた初期段階でも、ある程度の予想がつく。
ただ、その根拠は?と聞かれると、うまく説明ができない。
これは、経験によるカンに近いものでもあるのだが、
これをうまくお伝えする術を持てていないのが、何とも歯がゆい。
さて、本題に入る。上に書いてきたことは、入塾の時点で
すでに受かる学校が決まってしまっているということでは、当然ない。
ここからの過ごし方で、可能性はいくらでも変えられる。
しかし、ここが難しい。
ある子のその時の学力は、それまでの蓄積によるものである。
その子が、その子の(その家の)やり方、その子の(その家の)ペースで
過ごしてきた結果である。
冒頭に書いた『予見』は、その子が、その子のやり方で勉強を続けたとしたら…
という仮定での見通しなので、その子の勉強の仕方が良くなかった場合は、
そのまま勉強量を増やしたところで、合格には近づいていかない。
誰もが合格に向かって、学力を伸ばそうと思って、勉強している。
ところが、僕らの視点で見ていると、
不合格に向かって勉強している人というのが、毎年必ずいる。
これは勉強不足という意味ではなく、勉強しているのに…という意味である。
本人だけでなく、親子で間違った方向に突き進んでいるような、
そういう危うい状態である。
わかりやすい一例が、ここのところニュースになっている教育虐待であろう。
受かりたくて、受からせてあげたくて、必死になるあまり、
合格から最も遠いところに向かっている。
もっと大切なものまで失ってしまっている。
自分のやり方、自分のペースを変えるというのは、口で言うほど簡単ではない。
(30歳をこえると、もう本当に変わらない。
自分はこういうタイプの人間だから!これでうまくやってきたから!となる(笑)。)
これが自分のやり方だ!自分には、これしかできない!
違うやり方でやると余計できなくなる!と、自分流にこだわってしまう。
しかし、不合格に向かって突き進んでいる子(親子)を、
そのまま放っておくわけにはいかない。
どこまで信じてもらえるか。僕らにとっても、この夏は勝負である。