前回の「学習計画」話の補足であるが、
例えば、開成を熱望しているが、今のままでは届きそうもない子がいたとする。
「どうやったら受かりますか?」「何をやったらいいですか?」
「一日、何時間勉強したら届きますか?」と、相談に来たとする。
最初に元も子もないことを言うと、何とかしてあげたい気持ちはあるが、
「これをやったら誰でも絶対受かる」「毎日◯時間勉強したら必ず受かる」
なんてものは存在しない。
もしそんなものがあったら、誰も彼もがそれを実行すると思うけれど、
開成の定員以上の人数がそれを実行した時点で、もう絶対ではなくなる。
と、そういうことで言うと、「絶対受かる」方法は提示できないけれど、
「可能性を高めて、合格にできる限り近づける」ための計画なら立てられる。
しかし、たとえその計画表がゲームの攻略本のように
ゴールまでの道筋を細かく示したものであったとしても、
実際には、その計画を細部にわたって遂行できるかどうかの方が重要である。
すなわち、計画表が(仮に)完璧だったとしても、
実行するのは人間(しかも子ども)なので、計画通りに進められるわけではない。
例えば、問題1を10分で取り組むという計画が立ててあって、
本人にヤル気があったとしても、それを10分で終わらせられない、
あるいは、10分で解くことはできたけれど間違いだらけ、そういったこともある。
また、もっと難しいのは、その計画を信じて取り組めるか、やり抜けるかである。
ありがちなのは、計画をちゃんとやり切ってもいないうちから、
「この勉強で本当に大丈夫なのだろうか?」
「こんなことをやっていて間に合うのだろうか?」
「もっと他にもやった方がいいことがあるのではないか?」
と不安になったり、隣の芝を覗き込んでは別のことに手を出したり・・・
してしまう人がいる。しかし、これでは立てた計画も意味をなさない。
もちろん、相手(ここでは先生や塾)が信用に足るかどうかということが、
前提として重要なことは間違いないが、しかし一方で、
何をもって相手のことを信用するか、この判断は難しいと思う。
というより、人のことを信用、信頼するなんて、そうそう簡単にはできない。
だが、相手の仕事や専門性については、どこかで思い切って信用するしかないと思う。
どんな人でも自分の人生経験から、主観で判断してしまうものだけれど、
自分の考えが完全に正しくて、それと少しでも違うものは信用できない!
となってしまうと、(四六時中付きっきりとはいかない)子育ては限界がくると思う。
と、長々と書いてきたけれど、学習計画はそういうわけで、
(例えばAIが作るような)無機質なものでは、効果が薄いのではないかと思う。
その計画表の奥に、目には見えない信用とか期待とか、
そういうものを感じられた方が効果があるような、そんな気がしている。
