僕が高校生、確か高校2年生のときの話である。
中学1年生の入学式で、高校生数十名が、突然校歌を歌わされることになった。
前もって決まっていた話でも、通例としてそうなのでもなくて、
そのとき暇そうにしていた高校生数十名が
(↑ツッコミポイント!通常、入学式は始業式より前におこなわれる。)
「ちょっと来て!」と呼ばれてそうなっただけの(その場のノリで決まった)ことだった。
ちなみに、僕の通っていた学校は、
音楽の授業に一生懸命参加する生徒の多い学校ではないのだが、
なぜか「校歌」と「サンタルチア」だけは、卒業してもなお、そらで歌える人が多い。
だから、このとき無作為に集められた暇人メンバーでも、校歌は問題なく歌える。
しかし、このとき集められたメンバーの大半は運動部だったので、中1からすると、
デカくてがっしりとしたお兄さんたちが野太い声で歌う、迫力満点の校歌だったと思う。
さて、この日のことをなぜ書いているかというと、
この日、校歌の合唱指導をした先生は、もちろん学校の音楽の先生なのだが、
この人、なぜか音楽の先生であり、プロのオペラ歌手でもある。
その、歌うことの専門家である先生が、先の迫力満点の校歌(1回だけのリハ)を聞いて、
「運動していた子の声はいいなぁ」とつぶやいたのが、とても印象に残ったのだ。
どうやら、声帯を傷めていない声、筋肉のついた身体から出る伸びやかな声
というのは、魅力的なとても良い声であるらしい。
それで、その言葉を聞いたとき、
(歌そのものを頑張ってきた人の声を否定しているわけではないにしても)
歌ではなくて運動をやってきた人の声がいいかぁ・・・
と、正直、複雑な気持ちになったのである。
だが、大学生になって、塾の先生という仕事(アルバイト)に就いたら、
割とすぐに、その先生の言ったことが、実感としてわかるようになった。
もちろん、分かったのは声の良し悪しについてではない。
勉強にも似たようなところがあるなと、あのときの言葉をふと思い出したのだ。
勉強を継続的にやり続けることはすごいことなのだが、
やらせ過ぎて疲弊してしまうと、伸びなくなるし楽しくもなくなってくる。
また、やりたくなくてもやった方がいいのが勉強なのだろうけれど、
遊び半分と言ったら語弊があるかもしれないが、楽しんでやっていることの方が、
自然と成長に繋がっていくようなことは事実としてあるように思う。
さらには、パッと見、それが何の役に立つのかわからないようなもの、
むしろ、意味がないように感じるものが、後々、自分でも気づかないところで
自分の基本的な能力を底上げしてくれているとか、
そういうことってあるよなって思ったのである。
僕にとっても、あの日の特に意図したことも無いような先生の一言が、
何かの伏線であったかのように繋がって、
今の仕事をしていく上での金言になったのである。