『3人に4個ずつお菓子を配るとき、全部で何個のお菓子が必要か。』
この式を 3×4=12 とするか、 4×3=12 とするか、
それともどちらでも良いとするか、という掛け算の順序問題について。
結論は当然、「どちらでも良い」 どちらの式でも正解!マル!である。
数学の専門家や大学教授、先生たちのコメントもたくさん出回っている。
少なくとも、テストでどちらか片方の式を✕にすることはありえない。
だが、例えば、初めて速さの単元を教えるときは、かなりナーバスになる。
『時速3kmで4時間進んだら、何km進んだことになるか。』
冒頭の問題と数字を同じにしたが、当然これもテストではどちらの式でも正解である。
しかし、この2種類の問題は、
勉強を得意としている子と、そうでない子にとって全く別の見え方になる。
これらの問題を苦にしない子には、
「3人に、一人当たり4個ずつのお菓子が配られている」状況も、
「一時間あたり3kmずつ進んで、それを4時間繰り返す」様子も、
問題文を読んだ時点でイメージできている。
だから、式の順番なんかどっちでもよくなるのである。
しかし、これらの問題でウッと詰まってしまう子にとっては、
3も4も、数の大きさを表すただの記号でしかない。
かろうじて、お菓子の問題は実生活と結びつく(可能性が高い)ので、
状況をイメージできるけれど、速さの問題についてはイメージができない。
「1時間で3km歩ける人が、2時間歩いたら?じゃぁ3時間だったら?」
とやっていって、ようやく少しイメージできるようになるけれど、
速さに時間を掛け算するという感覚が、文章から想像できなくて腑に落ちない。
腑に落ちていないから、問題の数字が大きくなるだけでもわからなくなるし、
問題文が長くなったり複雑になったりすれば、そこで手詰まりになってしまう。
そこで、賛否両論あるけれど、
『速さ×時間=距離』という公式めいた教え方が出回るようになったのだと思う。
きちんと理解していれば、公式なんて必要ない!という意見はその通りだと思う。
だが、きちんと理解していれば、の前提を成立させるのが難しいのだ。
勉強を得意としない子全般、答えの出ていない状況に耐えられないようなところがある。
とにもかくにも、答えらしいものを書くことに執心するところがある。
それで、速さに距離を掛け算したり、速さを時間で割り算したり、
速さと距離を足し算したり、足してダメならと引いてみたり…
せっかく距離を速さで割っていたのに、出てきた答えの単位にkmと書いたり。
僕らは、そういう場面を幾度となく見てきている。そういった教育現場での経験から、
『速さ×時間=距離』の式の順番を(最初は)徹底させるようになったのだろうと思う。
これは、『速さ』と『距離』がわかっていたら、逆算で『時間』を求められる。
今、この式で求めたものは『時間』だ。ということは、単位はkmじゃない!
という風に、言葉や単位にも気を配る練習を同時にさせているのだ。
だが、ここでまた残念なことが起きる。
そもそも、これらの問題(に描かれた状況)をイメージできていた子は、
この指示を守ることも苦としないので、さらに正答率をあげていく。
一方で、状況をイメージできていなかった子の方は、この指示を疎かにし、
ますます両者の差が開いてしまうのである。