複眼①

もう随分前に勤めていた塾の塾長はとても変な人だった。
お世話になった人なので、変な人という言い方はよろしくないと思うのだが、
変というか、ややこしいというか、とにかくメンドクサイ人だった。
古風な言葉を使うなら漢気(おとこぎ)があって、見た目、豪快な人なのだが、
大体において、逆張りが過ぎる人。Mr.ギャクバリストだったのだ。

例えば、ある子が体験授業に来たときに、その子を担当した先生複数人が
「よくできていましたよ」と報告したとする。
すると、その塾長は、その子ができていなかったことを報告するのである。
逆に、先生複数人が「ちょっと厳しいですね」と報告するようなときには、
その子の良かったところをことさら強調する。
周りが白と言えば黒と言い、素人と言えば玄人と言い、
飯島と言えば網浜と言うような人なのだ。

だから、会議をしたとしても、意見がまとまった試しがない。
(塾長だからと)常任理事国のように拒否権を発動することはなかったので、
多数決を取れば結論は出せたのだが、組織の長としては、なかなか面倒くさい人だ。

 

だが、その塾長のおかげで救われた子は、たくさんいたと思う。
学力的に厳しそうな子であっても、良いところを探すことで、
伸ばす取っ掛かりを見つけてくれるのである。居場所を作ってくれるのである。
連携の取れている塾なら、この『複眼で見る』というのが、何よりの長所となる。

どんなに視野の広い先生でも、一人で見られる範囲には限界がある。
人間同士、合う合わないといった相性もある。
しかし、色々なタイプの先生がいて、『複眼で見る』ことができていれば、
様々なタイプの子に居場所ができる。
私がこの塾長から教わったこと、正確には、勝手に真似して盗んだことは多い。

 

ところで、「あの先生は一般社会では通用しない」
などと、先生のことを悪く言う人がいるが、
一般的な社会の理屈を、教育現場に当てはめることがそもそも間違いである。
もし、その理屈を当てはめるなら、
先生も利益優先、効率優先で働くことになるのではないか。
先生が、お金になること、評価の対象になることを優先したら、
どんなことが起きるだろうか。
きっと切り捨てられることが、あちらこちらに出てきてしまうと思う。
(5つ前のブログ、フィクションその1参照)
だから、かのメンドクサイ塾長は、会社としてはややこしい存在なのだが、
教育の場には必要な人だと思うのだ。

 

と、こういう観点で見たときに、
近頃は、企業化した学校が増えてきたように思う。
サービス精神、ホスピタリティの面で充実していて、非常に感じが良いのだが、
子どものことよりも、その後ろにいるお母さんやお父さんを納得させ、
満足させようとしている傾向が強まった感覚がある。
少子化が進む中で、学校も経営を成り立たせないといけないから、
(昔の言い方でいうところの)大蔵省である親を満足させたいのはわかるのだが、
そればかりになってほしくはない。