とはいえ、受験となると、悠長なことは言ってられない現実があるのもわかる。
塾通い自体にも結構なお金がかかっているわけだし、
そこにかけた時間も労力も相当なものである。
また、家族の我慢、犠牲のもとに成り立つことが多いのが受験勉強である。
だから、成績が思うように伸びないときや、
行きたい(行かせたい)学校に届きそうもないときに、
はたして続ける意味があるのだろうかと考えてしまうのは、
ごくごく自然なことだと思う。
しかし、そうかといって、すぐに辞めさせるのも短絡的である。
だから、成績が伸びないとき、あるいは、伸びる兆しを感じられないとき、
例えば、ずっと同じ問題でつっかえていて、先に進めないようなときや、
(親が見たら)ものすごく簡単に感じるような知識をおぼえられないとき、
このままではテストで点数を取れないのではないか、
クラスが上がらない(下がってしまう)のではないか、
塾ではウチの子のレベルは見てもらえないのだろうか、などと心配し、
仕方がない!親が教えるか!と、そういう気持ちになるのだと思う。
だが、目の前の問題の解法をただ教えるだけでは、本当の力はつかない。
(究極的に言ったら、教えたことはできるようにならない。)
熱が高いから解熱剤を飲ませるというような対症療法的な指導では、
その問題の答えはわかって(先に進めたとして)も、
次の問題でまた止まってしまう。また解熱剤が必要になる。
教えてくれる人がそばにずっといないと、勉強に向かえないのだとしたら、
手を貸すという選択の方が、大変さを継続することになるのではないだろうか。
もちろん、サポートを全否定しているわけではない。
軌道に乗るまでのサポートはあっていいし、サポートの必要なタイミングはある。
実際、サーパスでも、例えば、5年生まで小学校の勉強しかしてこなかった子が、
急に中学受験を志して体験授業に参加してきたようなときには、
しばらく親御さんのサポートをお願いすることが多い。
また、学習量が増えて、自分(子ども)では処理しきれなくなってきたとき、
プリントの整理や、コピーなどを親御さんにしていただくのもありがたい。
だが、子どもを徹底的に管理して、宿題をやらせて、
おぼえていないところをおぼえるまで(家で)再テストして、
テストで点数を取らせて、クラスを1つでも上にして、
最終的に行かせたい学校に合格させられたとしたら、
それで本当にハッピーですか?と聞かれたらどうなのだろう。
親が頑張ったから合格させられた?親が頑張らないから合格させられない?
これでは主役が親ではないだろうか。
なんだか育成ゲームかなにかのように感じてしまうのは私だけだろうか。