もう1つ、学力の高い子たちの話をすると、
彼らは、ここぞというとき以外は、むしろ頑張っていないように見えると思う。
だが、正しい勉強法で取り組んでいるので、ポイントは押さえていて、
余裕を持った学習スタイルになっている。
こういった子に、一度(ひとたび)エンジンがかかると、
圧倒的な馬力とスピードで加速していくが、いくら学力の高い彼らであっても、
まだ小学生なので、「何を」やればいいかまではわからない。
こういうとき、彼らは、(親に言われてではなく)自分の意思で相談にくる。
言葉はたどたどしくても、現状を改善したいことを伝えてくる。
大人ならわかると思うけれど、こうなったときの人間は強い。
そして、大人よりもはるかに柔軟で、伸びしろだらけの子どもは、
こうなったら、とんでもなく伸びる。
こういうことを言うと、
「それは(最初から)できる子の話で、ウチは違う」
「ウチは、(管理して)やらせないと、勉強しない」
という反応を示されることが少なくない。
そう言いたい気持ちはわかるし、
理想のようにはいかなくて、お困りなのもわかる。
管理するのも、仕方が無くそうしているのであって、
苦肉の策なのだとわかっている。
だが、そうだとしても、自分から行動に移せるようにさせていくことが、
教育の最終的な目標というか、それこそが教育なのだとすると、
宿題などで管理して勉強をやらせるというのは、
真逆の方向に舵を取っているとも言えるのではないだろうか。
管理の全てを否定しているわけではない。匙加減の問題であると思う。
初めて自転車に乗るときのように、後ろを支えてあげることも必要である。
だが、いつまでも手を離さなければ、その自転車はむしろ走りにくい。
自分の進みたい方向に進むことも、スピードを上げることもできない。
そしてまた、この手を離すタイミングに年齢は関係ないと思う。
個人差があるのはもちろんのこと、
同じ人でも必要無いときと、必要なときがあると思う。
例えば、小学校6年生のときには手を離していいこともあるが、
中学1年生のときには、むしろ手や目をかけた方がいいこともあると思う。
小学校4年生の2月3月であれば手を離していいことも、
小学校5年生や6年生の4月5月には離さない方がいいこともあるだろう。
0か100かという極端なのもよろしくない。
もっとストレートに言うならば、
手をかけたり離したりするのが、大人都合であってはよろしくない。
放っておくと、こっち(大人)が不安になるから、焦るからという理由で
手をかけ、管理しておいて、こっちが疲れると、手をかけるのを止める。
都合のいい「あなたのため」は、子どもでもウソだと見抜く。