新しいスタートラインに立っただけ

以前も書いたと思うけれど、東大に合格した(かつての)教え子の話。
「東大に受かったからすごいみたいに言われるけれど、
入ってしまえば、ただの人。そこにいるのは、みんな同じ東大生だから。」
正確な言葉はおぼえていないけれど、その子はこんなことを言っていた。

合格したときは、嬉しかっただろうし、
誇らしい気持ちもあったかもしれない。達成感もあったろう。
だけど、それから割とすぐに、気持ちを引き締めたのではないか。
ここ(東大)では、自分はいわゆる「勉強のできる子」ではない。
みんなと横一線。まだ何も成し遂げていない。
だから、今から新たに頑張らないといけない!と、こんな風に。

 

これは何も、東大に限ったことではない。

第一志望に合格できたからとか、偏差値の高い学校に合格できたからとか、
そんな理由で、自分が人よりも優れていると言わんばかりに偉そうにしたり、
そこで満足してしまって、勉強や部活、あるいは読書などを含めて、
何も頑張らなくなったりしたとしたら、
それこそ合格したことで、ただの『勘違いさん』になってしまう。

もちろん、(中学)受験までの期間に、親御さんなどから、
「今頑張っておけば、後で遊べるんだから」とか、
「中学受験しておけば、中学で高校受験の勉強しなくていいんだから」とか、
そういう声をかけられて、それを望みに勉強を続けたタイプもいただろうから、
受験が終わった直後からまた頑張るなんて、
とてもとても、そんな気にはなれないという子もいるだろう。
受験勉強のやらせ方によっては、燃え尽き症候群になることもある。

だから、子どもだけを責めるつもりはない。
だけど、中学受験にせよ、大学受験にせよ、その結果は人生のゴールではない。
だいぶスケールの大きい話にたとえるなら、
オリンピックで金メダルを取れたら、その後の人生が全てうまくいく
というわけではないだろう。若くしてメダリストになれたとしても、
その後の人生を良いものにできるかどうかは、メダルを取ってからにかかっている。

 

もう1つ付け加えると、第一志望に入れなかった子の中に、
「僕は(私は)もっと上の学校に行くはずだったんだ」と心の中で毒づきながら、
ご縁をいただいた学校で不貞腐れた態度を取り続けて、低迷する子が必ずいる。
もちろん、色々と思うところがあるのはわかる。
しばらく何もやりたくない気持ちになるのもわかる。
もう、何もかもどうでもいいや!という気持ちにさえなるかもしれない。
でも、もし冒頭の子なら、東大に入れていなかったとしても、
「僕はもっと上の学校に行けたはず」とは考えないと思う。
通うことになったところで、頑張るんじゃないかと思う。

なんでそんなことを当人でもない僕が言い切れるのか。
それは、彼が中学受験で第一志望に合格できなかったけれど、
その後も変わらず頑張っていたのを知っているからである。