古い話になるが、サッカーワールドカップ、ドイツ大会(2006年)の時、
グループリーグ第3戦で、当時世界ランク1位のブラジルとあたった日本は、
2点差以上での勝利が、決勝トーナメント進出に必要な条件だった。
しかし、後半が始まって15分の時点で、1対3と2点のリードを逆に許し、
大勢は決してしまっていた。(最終的なスコアは1体4)
その中で、ガムシャラにボールを追いかけ、声を出し続けている選手がいた。
この試合を最後に引退した中田英寿選手である。
2点のリードを許しているということは、(この先に進むためには)
世界1位のブラジル相手に、まずは4点取らなければならない。
そんなことは、もはや不可能であると、ド素人の僕でもわかる。
実際に試合に出ている選手なら、もっとわかっただろう。
もう諦めたのか、集中力を欠いているように見える選手もいた。
しかし、中田選手は、最後まで走り続けた。
その時を振り返って、中田さんは、
「自分でも無駄なことをしていると思ったけれど、
点も取れない、パスもできない、じゃぁ何ができるか?走るしかできない。
そこで走るのを止めたら、全てが意味のないものになってしまう気がした。」
と、こんなようなことを話していた。
中田さんは、この時、
「日本代表として試合に出る際、『覚悟』が必要である」
ということも言われていたが、あの試合を見た人には、
中田さんの『覚悟』は、言葉にしなくても十分伝わっていたと思う。
ところで、「死ぬ気」で頑張ります!と言う人で、
死ぬ気で頑張る人など見たことがない。(もちろん、死なれたら困るが…)
「カンペキ!」と言う人で、カンペキだった人も見たことが無い。
他にも「背水の陣で」「後がない気持ちで」などなど…
発した言葉が重たければ重たい程、その後の行動が伴っていないと、
その人の軽さが際立ってしまう。
きっと、誰かの言葉(例えば、お父さんに「死ぬ気でやれ!」と言われたなど)
を、そのまま使っているだけなのだろうと思う。
既存のかっこいい言葉をそれらしくは使っているが、
自分の意思がそこにないから、気持ちの乗った言葉にならない。
ただ、言わされただけになってしまう。
また、話し言葉と同じように、書く文章の軽い人がいる。
難しい言葉を並べたてていても、それ自体が誰かの受け売りで、
その文章を書いた本人は酔いしれているが、完全にスベっているパターンだ。
ところで、以上のことは全て前置きで、書きたかったのは以下の話である。
答案にも軽い答案というのがある。
問題を読んでいないことが一目でわかってしまう答案。
十分に考えることなく、なんとなくパターンに当てはめただけの答案。
(先生が解いても数分かかる問題をほんの数秒で)解答欄を埋めただけの答案。
その答え一つが正解か不正解かで、通う学校が変わるかもしれないのだ。
悔いを残さぬよう、じっくり腰を据えて取り組んで欲しい。