今日は結構無理やりこじつけました。

お母さんが洗濯物を取り込んだタイミングで、
「これ、ちょっとたたんでおいてくれない?」と言う。
さて、全てたたむか、自分の分だけたたむか、本当にちょっとだけたたむか(笑)。
あるいは、たたんだ後にそれぞれのあるべきところにしまうところまでやるか。

お願いされたことや頼まれたことを、どうせやるのであれば、
できるだけイヤイヤ感、やってあげてる感を出さずに、そして、
「ちょっとって言ったじゃん!」などと揚げ足を取るようなことはしないで、
お互いが気分よく過ごせるようにやった方がいい。
(なんなら、お母さんの機嫌を取っておいた方が、その後がうまくいく。)

だが、こういう場合はどうだろう。
お母さんは家を留守にしている。
自分もこの後出かけるが、自分のペースでゆっくり準備をしていたので、
割ともういい時間だ(そろそろ家を出ないといけない)。
ここで初めて気が付いた。リビングに取り込んだ洗濯物が散乱している。
だが、全部をたたむ時間はない。さぁどうする?と、こういう場合だ。

① 気付かなかったこと、見なかったことにする。
② たたんでいない洗濯物があることを言われていたらたたんでおいたのに…
と、自分のせいではないと言い聞かせ、一切たたまない。
③ 家を出るのを遅らせででも全てたたむ。
④ 時間の許す範囲でたたむ。

それで、この例を、後ほど家に帰ってきたお母さんの立場で考えると、
①や②よりも④の方が
「どうして!?」という気持ち、イラっとする気持ちになったりはしないだろうか。
つまり、「なんでこんな中途半端に?」「どうせやるなら全部やってよ!」
と、そういう感覚になるものではないだろうか。
たたむのを全く手伝わなかった①や②よりも、
少しでも手伝う気のあった④の方に、なぜか疑問や不満が残る。

 

自分のことに関しては、中途半端であっても、ちょっとずつやることで、
確実に前進することを知っている。
例えば、海外旅行のような大掛かりな旅行の準備は、
1日で全部やらずに、ちょっとずつするものだと思うし、
週末に、翌週の(平日分の)晩御飯のおかずを少し作り置きしておくとか、
そういうこともあると思う。

でも、人の中途半端な行動はなぜか目につき、鼻につくことさえある。
仕事でもこういうことはあるのではないか。
新人の○○くん、良かれと思って掃除してくれるのはありがたいんだけど、
細かいところまではできてなくて、結局二度手間なんだよね。
先輩の○○さん、「それ重いだろ、運ぶの手伝うよ!」って、助かるんだけど、
本当に運ぶだけで、倉庫の入り口にドカって置くんだよね…のように。

それで、まぁ、いい歳した大人の、(自分が)中途半端なことに気づけていない
『やってあげてる』感、『気が利くだろ』感はうざったいけれど、
子どもの、自分の時間をやりくりして捻出した結果の中途半端については、
もう少し評価したり、感謝したりしてもいいのではないかと思う。

 

勉強についてもそう。受験生ならそうも言ってられないけれど、
まだ受験まで間があるなら、1日の勉強量がちょっとだったとしても、
何かしらやっていることがあるのなら、
「一応自分でもやろうとはしているんだな」と思ってあげてほしい。
親御さんの本心では、もっとたくさん勉強した方がいいんじゃないの?
と思っていたとしても…である。