評価される勇気

ブログの書き出しとして、全く適さない書き出しになりますが……わたくし、文章を書くのはあまり得意ではありません。

なので、たまーーに書くブログも父母会資料なんかも、毎回スナフキン先生に校正をお願いしています。

もちろん、この文章についても同様です。

(いつも、ありがとうございます。もう少しブログの更新頑張ります。)

 

文章には、積み重ねてきた自分という人間そのものが出てしまうものです。

だからこそ、人に文章を見せる行為には恥じらいがつきまといます。

 

日記が良い例ですかね。

ありのままの想いをしたためた文章を見られたら、なんて想像したくないものでしょう。

(日記を書くこと自体は、良いことだらけなんですが。)

 

そんな文章を人にじっくりと読んで、評価をしてもらうことは、出来たら避けたいものです。

それでも、評価してもらうことの利点を考えると、他の人に見てもらうことを怖がらない方が絶対に良いと確信しています。

 

では、評価してもらうことの利点とは、何でしょう?

 

 

ずばり、努力すべき方向性が定まることに尽きると思います。

圧倒的に目標を達成しやすくなるのです。

 

 

でも、ダメなやつだと思われたらどうしよう?

無知なのがバレる……嫌だ。

 

 

これが、本音だと思います。

こうした感情が厄介なんですよね。

 

 

芳しくない評価を下されるということは、自分自身を否定されたように感じてしまいがちです。

SNSがインフラのように社会に根付いている今では、いいね!がある=嬉しい、ではなく
いいね!が無い=否定された、と感じて不安になる、という人も少なくないでしょう。

 

でも、本当はそうじゃない。

 

 

別に人間性を評価してもらっているいるわけではないんです。

そこだけはきちんと切り離さないと、なかなか勇気を持てません。

 

本来、自分の足りていない所や、努力する方向性の違いを指摘されることは、とてもありがたいことなのです。

目的地にたどり着く道を指し示してもらえるのですから。

 

 

「目的地にたどり着く」という流れになったので、車の運転で道を間違えたときのことを例にして考えてみましょう。

 

カーナビに『コースを外れました』と言われて、あぁやっちゃった!と思うことはよくあることです。

もう嫌だ!怖い!!と思うことは…きっと無いですよね?

むしろ、AIが気を利かせて、あえて何も言わない機能なんてものがあったとしたら、そっちの方が怖くないですか?笑。

 

 

大事なのは、間違えたときにすぐ認識すること。

その都度、修正をすることです。

 

それが出来れば、最短の時間ではないにしろ、目的地には辿り着けるはずです。

さらに、カーナビがあることで、目的地の設定もより自由になるはずです。

 

 

改めてお伝えすると、評価をしてくれる人とは、カーナビのように進むべき道を示してくれるありがたい存在なのです!

 

質問やアドバイスを受けにいくことは、勇気が要ることだけど、
せっかく自分よりもその道に長けている人が身近にいるんだったら、
頼ってみてもいいんじゃないの?!

道を間違えて、だいぶ走ってからだと、修正するのにかなりの時間がかかるよ?!

 

さぁ、人を頼る勇気を持とうぜ!!

 

 

という話でした。