中高の部活の先輩であり、文化祭では実行委員長を務めていた人の話である。
その先輩は、何をするにも「振り切って」いた人だったので、
傍から見ているだけでも、冷や冷やすることが多かったけれど、
でも、自信に満ち溢れたその姿は、常に輝いて見えた。
ところが、その先輩の小学生時代の話を聞いて、心底驚いた。
文化祭の実行委員長をやるような人だから、
小学校でも、さぞかし人気者だったのだろうと思ったが、むしろ真逆で、
その先輩が小学校で受けていた仕打ちは、
オブラートに包みようのない、明確なイジメだった。
しかも、そのイジメは、先生もグルになっての仲間外れ、無視。
グループを作るときは、その中に入れてもらえない。
もし、輪の中に入ろうものなら、先にいた人が抜けていく。
「自分がどれだけ変なのか、わかったか!」という態度を取る先生。
かばん持ちでは、ジャンケンで勝てないように仕組まれ、
たまたま勝てたときには、自分のランドセルだけ橋の上から落とされる…
なんで、そんなヒドイ目に合っていたのか。
先輩の自己分析によれば、
「自分は、やりたくないことを強制されると、拒否反応を示し、
テコでも動かない子だった。」とのこと。
宿題が嫌い、単調な漢字や計算のドリルも嫌い。
意味不明なルールも嫌い。集団行動大嫌い。
わかりきった話を黙って聞く(聞いてるフリをする)のも嫌い。
そのくせ、子どもの頃から弁がたつという、
自他共に認める、扱いづらい子どもだったからだろう、ということだった。
5年生のときには、自称「問題児のプロ」のベテラン先生が担任になったが、
結局、1年も持たずに、「お前はロクな人間にならない!」と吐き捨てられ、
それまでの(他の)先生と同様に、見捨てられたんだとか。
(おかげでロックな人間になってしまったと、先輩は笑って言っている。)
もちろん、小学校というところは、複数の子が通っているところだから、
集団行動を乱すようなおこないをされたら、先生も生徒も困ってしまう。
だが、だからといって、それを理由に不当な扱いを受けるのは間違っている。
そして、本当は、みんなを横並びにする必要だってない。
とにかく、この小学生(私の先輩)には、
納得できないルールを、強制的に、盲目的に、
押し付けてくるような環境は合わなかった。
子どものことを信頼せず、ルールで縛ろうとする環境が合わなかった。
世の中は、多くの理不尽によって成り立っているのだ!とばかりに、
大人の社会の論理を子どもに押し付けようとする人の、その理不尽さが合わなかった。
もちろん、先生も大変だったろうと思う。
だが、その一人の子どもが救われたのは、
中学受験で、自ら選んだ学校に進学してからだった。