「重要なところだけ」「結果だけ」
ものによっては、自分もそういう見方をしているものがある。
例えば、今日は阪神勝ったかな?と、試合結果だけをネットで見るとか、
ロッテの佐々木投手が完全試合を達成したと聞けば、
スポーツニュースでダイジェストを見るとか。
あるいは、本屋に行って、どの本を買おうかと物色するときも、
目次を見て、ぱらぱらとページをめくって、重要そうなところだけを斜め読みし、
買うほどでもないと判断した場合は、立ち読みで済ましてしまうこともある。
(本屋さんと作家さんには申し訳ないが。)
だから、昨日のスッキリに出ていた学生の中に、
韓国ドラマは字幕も出ているから倍速で見る、時間の節約になる
みたいなことを言っている人がいたが、こういう趣味(?)趣向の話なら、
僕も他人のことをとやかく言えない。自分の好きにしていいと思う。
(まぁ、そうまでして一通り見ようとする心理は、あまりよくわからないが。)
だが、生徒が主観と直感で、ここは「重要そうだ」と判断したところ以外、
つまり、こっちは「重要ではない」と判断したところに、
実は重要なポイントがあるってのは、僕らの仕事上、よくある話だ。
もっとストレートな言い方をすると、学ぶことに後ろ向きな人ほど、
例えば、教科書の太字だけおぼえればいいんでしょ!
と、自分勝手に「重要な」ポイントを少なくして、
残り(太字以外)を「重要ではない」と判断しがちである。
しかし、太字さえおぼえておけば良いと思っている人と、
太字以外にも興味の幅を広げている人の間に、
ますます学力差がついてしまうのは、自明の理だと思う。
ところで、今年、受験を終えて中学に入ったばかりのメンバーは、
今ごろ中学の授業を受けていると思うけれど、
その授業では、きっと、たくさんの雑談を聞かされるはずだ。
その雑談が、その日の授業に全然関係のない話だったとしても、
テスト範囲でなかったとしても、
そのときはその話の内容をあまり理解できなかったとしても、
全く問題ない。それを聞いておくことに意味がある。
そういうものが、やがて教養になるのだ。
だから、自分が未熟であることをわきまえて、
安易に「重要なもの」と「重要ではないもの」に区別しない方がいい。
無駄だと思うことの中に大切なものがあるかもしれない。
そもそも、無駄か無駄じゃないか、重要か重要でないかだけの物差しになれば、
多くのものは無駄の方、重要でない方に入るんじゃないか。
音楽やスポーツだって、考えようによっては、重要ではないかもしれないし、
まして、漫画やアニメ、ゲームにいたっては、不要という人もいるだろう。
でも、そういうものこそが、日々の生活に彩りを与えるのだと思うし、
そういう無駄だと思われるものが、文化になったりするのだと思う。
今や、邦楽曲はイントロ(前奏)も短い方が売れる、なんて聞いたことがある。
カラオケで歌うときにも、その方が時間短縮で良いのかもしれない。
でも、『希望の轍(わだち)』は、あのイントロあってこそだろ!と思うのである。