最終的には人間性とか

勉強ができると言われる人は、一部の天才を除けば、
生まれつき頭が良いというわけではなくて、
できるようになるための勉強のやり方を、成長の過程で身に着けた人なのだと思う。

決して、何でもかんでも(元から)できたわけではない。
むしろ、自分が苦手とするモノをわかっていて、自分の未熟さもわきまえていて、
そういう意味では、自分のコンプレックスを受け入れていて、
その上で、どうしたらいいかを考え、行動できるから、
できるようになっていった人なのだと思う。

もしかしたら、人のことを羨んだことだってあるかもしれない。
どうして自分はできないんだろうと悩んだことだってあるかもしれない。
ただ、勉強のできる人は、そこで人のせいにしたり諦めたりしないで、
試行錯誤したのだと思う。試行錯誤しているうちに、コツがわかったのだと思う。
コツさえわかれば、新しくできないことが見つかっても、
どうにかできるという自信を持って取り組むことができる。

 

ところで、勉強のできる人は、勉強を苦手とする人の気持ちがわからない。
あるいは、勉強を苦手とする人がどこでつまずいているのかわからない。
と、こういう話を聞くことがある。
もちろん、そういう人もいるだろうけれど、僕の感覚では、
勉強ができるから(できない人の気持ちが)わからないのではなくて、
勉強ができるできないにかかわらず、わかろうとしないだけなのではないかと思う。
つまり、学力が原因なのではなくて、性格的なものが原因なのではないか、
と、そういう風に感じている。

 

実は、今年の受験シーズン、ラスト2ヶ月のところで、
現在大学生の卒業生、男女2人に(アルバイトとして)サポートをお願いした。
2人とももちろん優秀なのだが、その優秀さを鼻にかけることなく、
何十枚のプリントや、十何校の過去問を嫌な顔一つせず(のはず)予習して、
10期生の質問に親身になって答えてくれた。

質問を受けた際も、生徒がどこでつまずいているのか、一生懸命探っていた。
そして、どう声をかけて、どのような手順を踏めば、そのつまずきを解決できるか、
さらには、その目の前の問題を解決させるだけではなくて、
今後つまずくであろう問題を予測し、それに自力で対応できるような
考え方、方法を示したりもしてくれた。

なぜ、そんなことができたのか。
それはまさしく、そうやって2人が勉強してきたからだと思う。
ただ単純に、おぼえればいいんでしょ!そういうもんだとおぼえるしかない!
という勉強法でやってきたのではなくて、
なぜそうなるのかを考えて、調べて、納得して、身に着くまで繰り返して…
と、やってきたから、できるのだ。

 

昨日、2人は受験生の慰労も兼ねて、サーパスに顔を出してくれた。
そして、貼りだされている合格校を眺めながら、感慨深いとしみじみしていた。
2人の「気持ち」や「熱」、もっと言えば、彼らの「人間性」に揺り動かされて、
最後の最後、苦しいところで、もうひと踏ん張りできた子もいたように思う。
改めて、ありがとう!本当にありがとう!!!