国語を得意とする人には伝わらないかもしれないけれど、
中学受験において、東京と神奈川では、国語の入試問題の質が違う。
大体、多摩川を越えたあたりに、その境界線があるように思う。
国語を得意とする人なら、何の違いも感じないかもしれない。
だが、東京の(中学の)入試問題は、どうにも文章がかたい。
実は、国語にとどまらない。
社会や理科ですら、問題文の表現が(神奈川と比べると)かたい。
読みにくくて、何を聞かれているのか、わかりにくいのだ。
私は東京で育ったので、最初は、その違いに鈍感だった。
そして、東京の子が苦にしない問題(文)を、神奈川の子が解くと、
どうしてこんなに点数が取れないのか?と不思議に思った。
東京と神奈川と、どちらでも教壇に立ったことがある人には
伝わるかもしれないが、神奈川の子、特に横浜以南に住む子は、
東京の子よりはるかに素直で純朴である。(もちろん個人差はある。)
私も、初めて神奈川で指導にあたったときは、
子どもたちの純粋な眼差しに衝撃をおぼえた。
その眼差しは、「世界ウルルン滞在記」で見たことのある眼差しだった。
一方、東京で育った子は、
よく言えば、オトナっぽくて、悪く言えば、スレている。
本音を言わずにやり過ごすことにも、言葉の裏を読むことにも長けている。
普段の人付き合いから、そういうものが必要とされているのだと思う。
だから、(少々強引かもしれないが)入試問題の質がかたかろうと、
「ハイハイ、こういうことを答えさせたいんでしょ!」
と、良い子ちゃんを演じることができるのである。
もちろん、横浜以南の子だって、そのくらいのことはできると思っているだろう。
だが、神奈川のそれは、東京のそれと比べたら児戯に等しい。
そう感じてしまうくらいの差なのだ。
その昔、東京で教えていた、ある小学5年生の話。
その子の部屋の本棚には、いわゆる昔の名作から、重松清などが並んでいたのだが、
その横に東野圭吾や伊坂幸太郎もあった。
みんながみんな、そういう本を読んでいるとは思わないし、
別にそういう本を読んで欲しいと勧める気もないけれど、
今思えば、そういう風土(のようなもの)が東京にはある気がする。