「中村憲剛氏」と「はまじとみぎわさん」のブログをまとめて考えてみたい。
基本が大事なことは間違いない。それは間違いないのだけれど、
では、その基本を大事にするということが、具体的に何をどうすることか?
については、多くの場合、丁寧に指導されることなく、
それぞれの解釈に委ねられてしまっているのではないか。
例えば、(中村憲剛氏ブログの)『止める、蹴る』の『止める』についても、
どこに止めるのか、どのように止めるのか、が大事であって、
そこを指導することなく、「ちゃんと止めろ!」などと言うだけなら、
「ちゃんと」の解釈は、十人十色の止め方になって当然であると思う。
止めているつもり、自分的には止めている、のレベルになってしまうだろう。
勉強の話に当てはめて考えると、
例えば、計算力をつけさせるために、「ちゃんと計算しろ!」などと言っても、
そんな声かけだけで計算力がつくはずがない。
また、その方法として、計算ドリルを大量に解かせる人は多いが、
正しい取り組み方を教えずに、量だけやらせても、
間違った型が身に着いてしまう可能性の方が高い。
解いた量に比例して、間違えた問題の量が増えるだけかもしれないし、
さらには、計算自体を嫌いになるかもしれない。
だから本当は、計算力をつけるためには、
本当に基本的なことから徹底させた方がいい。
姿勢よく座り、利き手と反対の手はプリント(またはテキスト)をおさえて、
0と6、4と9の区別がつくように、小数点が大きすぎて1にならないように、
繰り上がりの数字は大きく書きすぎないように、
計算の途中でよそ見をしないように、気が散らないように、休憩しないように、
答えを解答欄に書き込む最後の最後まで、気を抜かないように…
と、細かい話ではあるけれども、
そういった、ねちっこい指導があった方がいいのだと思う。
そう考えているので、サーパスの指導は、
図の描き方、式の書き方、筆算の書き方…とにかく、口うるさい。
算数だけではない。他科目のおぼえものについても、
書きなさい(書いておぼえなさい)、手を動かしなさい、綺麗な字で!
といったように、声をかける。
そのねちっこい指導を、「うるさいなぁ」と思うか、
「言われた通りにやってみよう」と思うか。
声に出さなくても心の中で反論するのか、教えてくれてありがとうと思うのか。
どちらが伸びるかは、もうわかるよね。