正解のないものについて考える

先日、水曜日ですかね、都立高校の入試において、
男女で合格最低点が違うというニュースがまた取り上げられました。
ことの是非について論じるのは、
どの立場からモノを言うかで、全く違った回答になるので、
非常にナーバスであると思います。
その問題点だけに目を向けて対策を講じたとしても、
別のところに新しく違う問題が出るという難しさです。

 

まず、合格点は男女で差をつけるべきではない!
という主張は、至極当然だと思います。
(男子よりも)女子だけにたくさんの努力が必要になるのはおかしい!
その通りだと思います。

ただ、一方で、入学式の日に登校してみたら、
実は男女比が1:9のように、どちらかに大きく偏っていると知ったら…
親御さんは、そこに子どもを通わせたいと思うでしょうか?
男子1の女子9でもいびつですし、女子1の男子9も不安になりませんか。

まぁ、机上の空論、極端なことを話しているのは承知しているので、
そこまでのことにはならないかもしれませんが、
蓋を開けてみるまで、その人数比がわからないのは、
それはそれで不安な気がします。

 

どちらかを立てれば、どちらかが立たなくなります。。
男女で合格点に差をつけるべきではない!という立場と、
男女比があらかじめわかっていた方が安心であるという立場です。
どちらか一方だけが正解ではないと思います。
ニュースやワイドショーで、もしどちらかに偏った報道があったら、
それを鵜呑みにせず、違う立場の人がどう考えるか?
について考える姿勢が持てたらいいと思います。

 

僕の挙げた例は、ちょっと稚拙でしたので、
2015年にサーパスで講演会を開いてくださった
育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささんの考察が
(とっても長いですが)詳しくてわかりやすいのではないかと思います。

https://news.yahoo.co.jp/byline/otatoshimasa/20210528-00240223/