誇りに思う

この時期は、きっと多くの塾で、
合格おめでとう!の文字と、合格実績が貼りだされていると思う。

下級生や、その保護者の方は、それを見ながら、
「〇〇中学あった!」とか、「△△中学はないなぁ…」のように、あるいは、
「◎◎さん、すごい!〇〇も△△も受かってる!」のように、
話のタネにするのが、一般的だと思う。

 

だが、受験をした当の6年生や、その保護者になると、見方がちょっと変わる。
同じ受験期を過ごしたからこそ、自分のことだけでなく、
人の苦悩にも思いを馳せられるようになる。
友人の合格を知って、自分のことのように喜んだり、
あるいは、友人の一番行きたかった学校の名前が無いことを辛く感じたり、
「全員合格」の文字を見て安堵したり、時には涙したりと、
もう少し感傷的に眺めることが多い。

なお、受験を終えて1年経つ頃には、さらに心境が変わる。
受験を終えた6年生とは、たった1歳しか違わないのに、
おじいちゃん、おばあちゃんが孫を見るかのように、
「みんな頑張ったねぇ!」と、しみじみしていたりする。

過去問の点数がなかなか合格点に届かなくて不安な日々を過ごしたとか、
実際の入試で不合格を経験して、それまで体験したことの無い恐怖を感じたとか、
多かれ少なかれ、卒業生たちもそういう経験をしてきた。
だから、彼らは、受験を終えた後輩たちの気持ちや、頑張りがわかるのだと思う。
そして、こういう感覚って、実はとても大事なものなんじゃないかと思っている。

 

中学受験に限った話ではないが、
勉強には、やり方や考え方を間違えると、危ない面、良くない面がある。
中学受験をするということは、小学校の友達が遊んでいる間も、
塾に通って、ゲームや遊びも我慢して勉強するということである。
その結果として、どこかの合格を手に入れられるかもしれないが、
その結果が、ともすると、自分は頑張った!エライ!と錯覚させることがある。
しかし、自分の方が学力が上だとか、偏差値が高いとか、
そういう物差しで、他人のことを見下したりするようになったらいけない。

政治家や官僚、お医者さんや弁護士……どの仕事ももちろん素晴らしいが、
先生と呼ばれる仕事に就く人や、人を指導する立場の人こそ、
自分は他人が遊んでいる間も勉強してきたのだから…
という変なエリート意識ではなく、人に対する温かい目を持っていて欲しいと思う。
ちょっと古い例でいえば、おつりを間違える店員さんがいたとして、
その人をバカにするような態度を取るようにはなって欲しくない。

その点、サーパスの卒業生たちの眼差しは温かい。
僕らまでを、嬉しく誇らしい気持ちにさせてくれる。