高校受験を指導していた時、中3になってから入塾してきた生徒に
ひらがなで「ぼ」と書けない男の子がいた。
彼の書く「ぼ」は、「ほ」に濁点ではなく、「ま」に濁点だった。
ここで今述べたいことは、彼の学力についてではない。
「ま」に濁点を打つ「ぼ」を、
中学生になるまで、なぜ誰も正してやらなかったのか!?
ということである。
小学校でも中学校でも、作文なりレポートなりで
「ぼ」を書くタイミングは何度もあったはずだ。
男の子の書く作文なら、最低1回は「ぼく」が登場しそうなもんである。
課題を提出させても中身をチェックしない先生ばかりだったのか。
親は親で、自分の子どもが書いた作文を一度も読んだことがなかったのだろうか。
間違いに気づいていて、いつか自分で直すと思ったのか。
それとも、先生は家庭のせいにして、親は学校のせいにしたのだろうか。
とにかく、それを違うと教えたのは、学校でも家庭でもなく、塾であった。
「ぼ」を中学生になって書けないのは、
さすがに特殊過ぎる例だと思うかもしれないが、実はそんなこともない。
例を挙げればきりがない。
事の差異はあれ、そんなことも知らないの!?と驚かされることはよくある。
勉強するかどうか、あるいは伸びるかどうかは、
本人の(ヤル気の)問題だ、家庭の問題だと言われることがある。
一方で、勉強は学校で教わってくるものだ、と考える人もいる。
責任がどこにあったってこの際どっちでもいいが、とにかく、
この「ぼ」を中学3年生になっても書けなかった子は、
どうしていたら、こうならずに済んだのだろう?と考える。
その答えはいまだに出ていないけれど、
「塾なんて行かせてかわいそう」「子どものうちから大変だね」
なんて言葉を目や耳にするたび、
勉強できないままでいる方がかわいそうで大変じゃない?
って、思ってしまう。