この激動の世の中で自らの未来を拓いていくには、
既存の価値観で効率を求めて組み立てられた「やらねばならぬこと」
をこなしていくのではなく、一見役に立たないような学びでも
自分で考え決めて楽しめる力を着けることが、
どんな環境でも幸せを見い出すことにつながるのだろうと考えている。
その力を育む環境を用意することが、
親ができる数少ないことの一つではないだろうか、という親の思いと、
「私学の中学校生活が楽しそう」という娘の明快な動機が相まって、
中学受験を決めた。
常々子ども達には「学ぶ喜び」を感じて生きていってほしいと願い、
「将来のため」という幻のために、今現在の子ども達が持つ興味や喜びを押し殺して
苦行のように強制的に勉強させるようなことだけはしたくないと考えていたが、
娘が最初に通い始めた塾は、私たちの価値観に全くそぐわない場だった。
その塾に限界を感じた新五年生の三月に、サーパスの門を叩き、
受け入れてもらえた実感を持った頃から、娘は「学ぶ喜び」に気付いていった様に思う。
以来約二年間、日々たくさんの「やるべきこと」に向き合って計画を立て、
「やりたいこと」とのバランスを見事にとり、偏差値に翻弄されることなく
真に「行きたい」と思った学校への進学を決めた娘を、誇りに思う。
娘が自ら選んだ学校は、偏差値や大学進学率からは計り知れない、「好奇心」や
新しいことを知り探求する喜びを伸ばしていくことのできる場であることを感じている。
もちろん、目指した学校への「合格」という目標がある以上、
どうしてもテクニックに寄せていかねばならない時期というのがあることは否めない。
それでも、娘にとって必要不可欠な、
自分の興味関心を高める時間を尊重していただきながら、
最後まで「学ぶ喜び」とともに受験を終えられたことが、何よりも感謝したい点だ。
ともすると、少しでも偏差値の高い学校への誘導や
少しでもたくさんの合格実績を出すことへの協力要請さえも
見受けられる中学受験界にあって、
余力のある志望校選びと本人の意思を認めてくださったことに、
改めてお礼を申し上げたいと思う。
「偏差値で学校を格付けしない」、
「偏差値の高い学校に進学するのが『よい受験』だと決めつけない」、
そんな受験を許していただける塾、そうはないのではないだろうか。