サーパスは、1学年40名にも満たない小さな塾であるが、
その分、生徒一人ひとりをちゃんと見ることができる。
(一人ひとりをちゃんと見るとは、どういうことか、
これについて書くと長くなるし、本題からずれるので、今回は割愛する。)
とにかく、一人ひとりのことをちゃんと見ていると、
どの子が合格し、どの子が合格しないか、について、
入試を迎える前からおおかた予測がつく。
これは、模試の偏差値や、そこで出される合格の可能性何%などの数字
から判断しているものではない。
また、スポーツを観ていて、今日の彼は点を取りそうだとか、
何かやってくれそうな雰囲気があるとか、
そういうコメントを耳にすることがあるけれど、
そういうフワっとしたものでもない。
私が今まで教えた生徒数は、のべで4ケタにはなる。
それだけの受験にかかわってくると、受かる子とそうでない子の違いが、
事前にわかると言ったら、少しは信じてもらえないだろうか。
ところが、(もちろん人間性や、信頼度に問題があるのは重々承知の上で)
その経験から出たアドバイスよりも、一人か二人の受験を終えただけのママ友や、
下手すると、どこの誰が書いたかわからないネット上の口コミの方を
信用されてしまうことがある。
「入試直前に○○(参考書)をやったら受かった」のような一言が、
4ケタの受験生を送り出した経験や、塾で〇〇年教えてきた経験に、
あっさりと勝ってしまう。
そんな馬鹿な!?と思ってくださった方も、ちょっと待って欲しい。
似たような話は、ひょっとしたらどの家庭にもある。
例えば、御両親の受験(勉強)経験を、そのまま子どもに当てはめるのもそうだ。
御両親のたった1つ2つの例から、個性も、時代も環境も飛び越えて、
「~でなければならぬ」「~できないなら、受験なんぞやめた方がいい」
という教育方針を打ち出し、これが受験に関して普遍的な正解である!
のような捉え方をしてしまってはいないだろうか。
だが、今の受験の状況は、御両親が受験した頃とは大きく違っている。
私も中学受験を経験しているが、その経験のうち、
今の中学受験を取り巻く状況に当てはまることなど、ほとんど無い。
だから、塾でアナウンスする話も、当時の話とは違うに決まっている。
家庭の教育方針に口を出したいわけではない。
だが、「~ねばならぬ」ではなく、「~もある」という視点があってもいいと思う。
(結論が前回ブログ内、参照記事のウケウリであるのは内緒の話。)