このブログの中で、『聞く力』については、何度か触れてきたが、
今日は『読む力』について書こうと思う。
これは、長~い本を読んで、話の内容を理解するというような
そこまでのレベルを求める話ではなくて、ただ単純に、
ちょっとした文章から情報を『読み取る力』についての話である。
4年生の単元で一例を。
「たての長さが4cmで、面積が28㎠の長方形の横の長さは?」という問題で、
図を黒板に描いた後で、問題文を口頭で伝えてあげると、全員解ける。
ところが、図を黒板に描いた後、
この問題文を黒板に書いただけで読んであげないと、何人か解けない子が出る。
読んであげれば(全員)解けるのだから、算数の力がないわけではない。
ところが、自分で問題文を読むとなると、途端に解けなくなる。
「読んだらわかる」と大人はよく言うけれど、今どき、
この(上に挙げた)レベルで『読む力』が落ちている。
文字から情報を読み取れないレベルが、大人の想像をはるかに超えている。
仮にこれが参考書の類で、
「たての長さと面積がわかっているのだから、横の長さは求められる。」
と、こんなヒントが載っていたとすると、
読めない子にとっては、そのヒント(文章)は何の役にも立たない。
さすがに、読めない漢字はない。読むことは可能なのだ。
しかし、そこに書かれている情報が頭に入ってこない。
2回読んでも、3回読んでも…10回読んでも!という子が本当に増えた。
読んであげると解けるのだから、本当は音読したらだいぶマシなのだが、
「何を言っているか全然わからない」
という気持ちに支配された状態で何度も読んでいると、
最早わかろうという気持ちなどどこかにいってしまって、
悲しみや諦め、あるいは怒り(逆ギレ)の気持ちが湧いてきて、
ますます情報が頭に入らなくなる。
たったこれだけの問題文で、読めない子が出るのだから、
これが二行、三行…と増えてくると、読めない子の割合はもっと増える。
1000字、2000字の長文はいわずもがなだが、
「教科書を自分で読んで、自分で内容を理解する」
のは、今となっては、相当難しいことになっている。
中学受験塾では、この現状を打破すべく、小学生から『読む』訓練をさせる。
「読めない」現状を嘆いていても仕方ないし、
諦めて放置すれば、悲惨な未来が待っている。