身に着かない宿題

サーパスは宿題の少ない塾である。
おそらく大手塾の1~2割の量しか出していない。
小学生の成績向上に宿題は関係が無いという研究まであるくらいなので、
この分量を増やすことを現状考えていない。
とはいえ、ニーズもあるので、宿題を0にはできない。
それで、その宿題の進め方についてであるが、小学生にして、ここには大きな差がある。

きちんと自分に厳しくやれる子もいる一方で、
徹底して「やらない」タイプ(笑)もいる。
他にも、気が向いた時や、できそうなところだけやるタイプ。
一応やってみるけれど、答え合わせをしないタイプ。
わからないところは答えをチラチラ見ながら進めるタイプ。
ギリギリになって答えをガッツリ丸写しするタイプ。などなど。

幼稚園で宿題が出るイメージはないので、
このクセ(?)は、小学校に入ってから身に着いたクセなのだろうか。
とにかく、上記のやり方では、1行目以外まるで力が着きそうにない。

そして、これら以外にも、力が着きそうにないやり方があるが、
そのうちの1つ、「親に教えてもらう」について、述べようと思う。

宿題をやらせると、「わからない」とか「こんなの習ってない」などと言われて、
困ってしまうお母さん、お父さんはたくさんいらっしゃると思う。
「塾に通わせているのに、結局親が教えないといけないなんて…」
と不満に思いながら仕方なく教えてしまう方も、
「どれどれ!パパの方が教え方がうまいかもしれないぞ!」
と俄然ヤル気を出しちゃう方も、
ちょっと待って欲しい。それって、

解答をチラチラ見ながらやったのと、同じじゃないですか?
解答をガッツリ丸写ししたのと、そんなに違わなくないですか?

もちろん、子どもに多少は考えさせたり、質問して答えさせたりしたと思うし、
最後に「わかった?」と聞いたら、「わかった!」と答えたと思う。
しかし、本当はもう御存知なはずで、「わかる」と「できる」は違う。
あんなに説明したのに、そして「わかった」って言ってたのに、
テストで全然できていないじゃない!という経験のある方には、
このことは、すぐに伝わると思う。

 

教えてできるようになるなら、僕らが教えている。
それをわざと教えないのだとしたら、そこには意図がある。
目先のその1問を『片付ける』のが目的なら、さっさと教えてしまうが、
その勉強のやり方では、残念ながら自分でできるようにはならない。

たまに、「丸付けをお願いします!」と生徒が持ってきたものが、
お母さんやお父さんの字だったりする。
丸を付けるのも何だか変な感じだ。(×をつけるのはとても心苦しい。)

丸がついたことで、子どもはその問題の存在を記憶から消す。
終わったことにしてしまうのである。