「教えない指導」という言葉をよく聞くようになった。
「教えない指導」という表現を、ご本人が使ったかどうかは知らないが、
かつて横浜にあった算数教室の宮本哲也先生も「教えない」ことで有名だった。
授業を拝見したことはないが、何も「教えない」塾というのが本当なら、
宮本先生は、なかなかの強心臓だと思う。(保護者のクレームには動じない?)
さらに、著書(『強育論』)には、保護者に対してのきつい発言が度々登場していて、
読んでいるだけで冷や冷やする。
しかし、それでも宮本算数教室は、特に宣伝をしなくても、
入塾のキャンセル待ちが何百人単位で出るほどの人気塾(教室)だった。
さて、「教えない」という言葉だけを切り取ると、
一見(一聴)、誰にでもできると思うかもしれない。
答えも教えず、ヒントも与えず、質問にも答えず、ただ教えなければいいのだ!
これなら簡単だ!自分にもできる!と(笑)。
「教えない」だけなら、確かに誰でもできる。
だが、生徒の学力を伸ばせるかどうかは、
「教えない」の他に何かがないと、さすがに無理である。
これは予想だが、世の「教えない指導」をうたっている先生の中にも、
きっと勘違いしている人はいると思う。
問題を与えて、間違えたところやわからなかったところは、自分で調べさせて、
ほら!僕(私)は何もしていないけれど、
子どもが一人(自分自身の力)で、できるようになったよ!
これが「教えない指導」だ!と。
もちろん、教え込む指導よりは、はるかに効果があると思うけれど、
でももし、これが「教えない指導」の全てであるならば、先生って必要だろうか。
与える問題に先生のセンスが出るとしても、今はネット社会であるから、
良い問題がネットで手に入ることも十分考えられる。
僕は、「教えない指導」にせよ、逆の「教える指導」にせよ、そこには
子どもをよく見て、その子を知ろうとすることが大事であると思う。
字が汚くて0と6の区別が自分でもついてないぞ!おっと4と9もか!
掛け算の筆算で繰り上がりの数字を書いたのを、2回足しちゃってるぞ!
90÷5がいつも16になってるな。(でも16×5はちゃんと80なのか!)
繰り下がりの時に、1減らした数字を書くのを横着して間違えてるな…
のように、その子の計算ミスしやすいクセを知っておく。
また、子どもにだって、元気がある日とない日があるし、
受験生にだって、ヤル気のある日とない日がある。
いつもより、疲れてるな、姿勢が悪いな、目が虚ろだな、発言が後ろ向きだな、
今日は字が汚いぞ、ミスが多いな、どうした?何か嫌なことでもあったか?
イライラしてる?誰に対して?自分に対して?
と、その日といつもとの違いに気づくことも必要だと思う。
子どものことを見ていないと、
適正なタイミングで頑張らせることもできない。
教えないからって、何もしないわけではない(笑)。