父母会や面談、あるいはホームページのブログやらで、
「記述を書けないのは、アウトプットの問題ではなく、
インプットができていないから。」と、言い続けている。
そしてそのインプットのために、
「音読をしっかりやるように!」(必ず親御さんに聞いてもらいなさい!)
「意味調べは、辞書を引いて終わりではなく、使えるように!」
ということを伝えている。
しかしまぁ、なかなか伝わらない。
伝わらないは言い過ぎかもしれないが、音読や意味調べを十分にやらずに、
とかく問題を解かせたがる人が、毎年必ずいらっしゃる。
しかし、国語をテクニックでどうにかしようとするのは危険である。
というわけで、まずは今日出たての記事のお力を借りようと思う。
https://toyokeizai.net/articles/-/277606
来年からの大学入試改革が、どういうところで落ち着くのかはまだわからないが、
「書く」というところに、今までよりも重点が置かれる可能性は高い。
現在でもすでに小論文入試を取り入れているところは多いが、
例えば800~1200字くらいの字数なら、
その気になれば一息で書けるくらいになっておいた方がいい。
今後AO入試、推薦入試が今より盛んになれば、原稿用紙10枚とか20枚とか、
そういう分量を書かせるのが当たり前になるかもしれない。
実は、1000字程度なら、テクニックである程度どうにかなる。
どんな題材を指定されても、事前に準備しておいたネタを入れることや、
得意な型に持ち込むことはできる。
しかし、5000字、10000字となると、なかなかそうもいかない。
書きたいことが自分の内に無ければ、長い分量は書けない。
書けたとしても、中身の無い薄っぺらい文章になってしまう。
作文を書かせると、書くことない!何行書けばいいの?と、聞いてくる子がいるが、
この発言だけでも、ある程度の精神的な成長度合いが計れてしまう。
作文や感想文、あるいは手紙などを書かせると、
内面だとか知性だとか、読書経験だとかがあらわになるのだ。
余談だが、知識偏重、詰込み教育と批判された
従来のセンター試験のような記号選択問題の方が、
ある意味、誤魔化しが利いた。
真面目に勉強さえしていれば、誰にでも点数を取れるチャンスがあった。
内面を晒さずにも済んだ。