できる子はどこに行ってもできる。(どの塾でも関係ない)
できない子は手がかかるけれど、できる子は放っておいても大丈夫。
むしろ、放っておかれてもできるようでないとダメだ!
と、こんなことを本気で思っている人がいる。
この『できる』という言葉が、どのレベルの『できる』を指すのかわからないが、
もし『できる』子が、誰に教わっても、放っておかれてもできるなら、
どの塾でも、最上位クラスの担当はアルバイトや新米講師でいいはずだ。
通う学校だって、どこだっていい。
しかし実際は、その真逆である。
『できる』子を指導する時には、適度な緊張感と刺激を常に与え、
知的好奇心をくすぐれるようでないといけない。
これは、口で言うほど簡単なことではない。
『できる』子は、先生の力量を見抜く。
中身も無ければ刺激もない、薄っぺらい授業をする先生がいたとしたら、
小学生でも先生の質を見透かしてしまう。
見透かされないようにと、むやみに高圧的な授業をする先生がいたとしたら、
学の無さを隠すのに必死だなと、これもまた見抜かれる。
できる子を教えるには、教師の方にもかなりの緊張感が必要なのだ。
当然、できる子を前にしてビビってしまうという意味の緊張感ではない。
ビビってしまうレベルで、その子たちの指導にあたってはいけない。
その子の才能や可能性に心躍らせて、
教える側も身を引き締め、努力し続けなければならない。
昔取った杵柄で、ふんぞりかえっているようではいけない。
できる子を、退屈にさせてはいけない。
その子が、今の自分のレベルよりちょっと背伸びをしないと解けないような
そういうちょうどいい刺激を与えるには、
教える側に研ぎ澄まされた感性が必要である。
最後にもう1つ。
『できる』子と呼ばれる子の多くは、
『できる』と人から勝手に思われているだけであって、
自分で自分のことを『できる』子だなどとは思っていない。
上には上がいるということをわかっているから
『できる』などと褒められても気恥ずかしく感じてしまう。
だから、『できる』というレッテルをむやみに貼ってくる人が、正直煩わしい。
『できる』子をほったらかしにしてはいけない。
勝手にレッテルを貼った人にはわからないかもしれないが、
『できる』扱いをされたことで、その子が抱えたプレッシャーは、
場合によっては、心を病むほどに大きい。
その『できる』子扱いされた子の気持ちがわからない人には、
できる子を教えることはできない。
できる子は誰でも教えられる?
できない子を教える方が大変?
そんなわけないでしょう。