野球大好き少年が練習試合に出たとします。
しかし、味方のチャンスで全く打てず、さらには痛恨のエラーをした結果、
試合に負けてしまったとしましょう。
ショックですね。
次こそ打ってやる!次こそエラーしないぞ!と、思うでしょう。
それで、その後どうしましょう?
普通は練習しますね。
所属しているチーム全体でも、もちろん練習をするでしょうけれど、
素振りをする。バッティングセンターに行く。走り込みをする。筋トレする…。
という風に、個人でも練習するでしょう。
悔しい思いをした経験から、今まで以上に練習に気合いが入ることと思います。
同時に、気合いという目に見えない精神論にとどまらず、
具体的に何が足りなかったのかを考えて、
個別の練習メニューを組むこともあるでしょう。
ここまでやっても、次の試合で活躍できる保証はありませんが、
少なくとも、やった分の成長は保証できます。
察しのいい人はお気づきだと思いますが、これは勉強でも同じです。
過去問演習を例にお話しします。
過去問はいってみれば練習試合です。本番ではありません。
間違えた問題があっても、きちんと覚えていないがために解けなかった問題があっても、
自分の弱点や課題を見つけたことに意味があります。そして、その弱点や課題を
やり直し、覚え直しすれば、本番に向けて意味のある勉強になります。
しかし、それらを疎かにしたまま、次の過去問に着手する人がいたとすると、
それは、野球の練習試合にたとえていうなら、
自分のせいで負けたのに、練習もしないで、また次の練習試合だけ参加する人です。
活躍できるわけがないですよね。そして、どこにも成長がないですよね。
中学受験に過去問演習は必要です。
でも、過去問をやる意味がわかっていないと、成長は望めませんよ。