「勉強しなさい!」
「宿題やったの?」
「いつまでダラダラしてるの!?」
私だって、こんなことを言いたくない。
やらされる勉強じゃ力がつかない。自分からやらないと力にならない。
自分の人生がかかってるんだから…
自分から机に向かえるようになって欲しい。
自主性を持って欲しい。
何をすべきか考えて行動できるようになって欲しい。
自立して欲しい。
とまぁ、こういうことを思ったりするわけですが、
これ、かなり高度な要求ですよね。
究極の理想と言ってもいいくらいです。
自主性とか自立とかって言葉が意味するところには、
この先どういったことが求められるか、
今後のために何をしておいた方がいいか…などなど。
計画性だけでなく、先を見通す力のようなものが必要だと思います。
これ、相当優秀でないとできません。
テストでいい点数を取るとか、学校の成績を上げるとかの方が、
よっぽど簡単かもしれません。
人に言われて勉強しているタイプでも、テストの点数なら上げられますからね。
ですから、これはそういうレベルの優秀ではありません。
明日の漢字テストの勉強を、言われなくても自分からやる!
という程度の話なら、要求もそこまできつくないかもしれません。
でも、それが一通り終わった後、またダラダラゴロゴロしていたら、
「他にやることないの!」という声をかけちゃいそうです。
そこで「もうない!」とか「全部終わった!」なんて言われたら、
「もっと課題を出してくれないのかしら!」と、思うかもしれません。
でもそれって結局、自主性ではなくて、
強制的な何かで縛り付けて欲しいと願っていることになります。
量を出すのは簡単ですが、やらなければいけないものが多すぎると、
自分に何が必要かと考える時間も余裕もなくなります。
自立するチャンスを奪ってしまいます。
ですから、0か100かになるのではなく、
漢字テストの勉強を自分からやれたとか、そういう小さなことでいいんだと思います。