どの授業でもそうですが、問題を解いて答え合わせをする時に、
答えが合っているかどうか、点数が入るかどうかだけに関心があって、
なぜそうなるか(あるいは、間違った答えの場合、なぜそうならないか)を
聞かない子(聞けない子)が増えました。
例えば、答えを言わずに、先に解説をしていくと、
ちゃんと聞いている子は、解説の途中でも
自分の考え方や答えが合っているかどうかに気づきます。
間違った答えを出していたとしても、解説を聞きながら自分の間違いに気づき、
解き直しをしたくなったりするものです。
ところが、聞けない子は一通り全部解説した後にでも、
下手すると、解説後に答えまで喋っていたとしても、
その答えすら聞き逃しているので、
「で、答え何?」なんて聞きます。
答えだけが欲しいんですね。
こういう話をしてしまうと、「まさかウチの子が!?」「何でウチの子は!?」
となる親御さんがいらっしゃいますが、これも子どもだけのせいではないのです。
おおたとしまささんの著書で「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」
の中に書かれていることですが、大人には正解を求めるクセがあります。
『「正解がない世の中で生きていける子供を育てるためには、
どうすることが正解なのでしょうか?」
というギャグみたいな質問をされることがよくあります。
大人自身が、「正解を求めるクセ」から抜け出せないのですね。
「絶対うまくいく!」「1週間で効果がある!」
みたいな安直なビジネス本やダイエット本なんかを
読むのをやめることから始めたらいかがでしょう。』
とあります。
大人のクセが、そのまま子どもに染みついていくのだと思います。
一方、先日の講演会の後、こんな話になりました。
「自由って何?」
麻布らしい会話かもしれません。
「自由には責任がつきまとうものだ」なんてことがよく言われます。
しかしおおたさんは、そういうことだけじゃなくて、
「それで、自分(自身)はどうなんだ?」
と、自分に問い続けることを必要とするのが「自由」である
と興味深いことをおっしゃっていました。
問い続けるということは、答えを出さない(出せない)とも言えます。
安易に紋切型の解答を準備するのではなくて、
常に自分に「どうなんだ」と問い続けるのには、知的体力を必要とします。
答えを出せば楽になれます。答えを出したことで終わりにできます。
答えを出さずにいるのは、常に不安な状態かもしれません。
しかし、それが「自由」なのだと。そうおっしゃるわけです。
そんな自由ならいらない。
それなら制約の中で、管理の下で生きていく!というのも1つです。
しかし、これからの社会では、答えを求めない知的体力も必要である
というのは、なるほど確かなように思います。