フ・リ・カ・エ・ル

今日は2015年1月14日。

小6の社会科の授業で時事問題のラストチェックを行う日なので

下1ケタが「4」と「5」の年代を中心に年表を見返していると、

ふと自分史の中の「4」と「5」に関心が移った。

そこで、昔書き留めていた文書を振り返ってみた。

すると、2005年、つまり10年前の年末に書かれた、

「フ・リ・カ・エ・ル」なる題の文章が発掘された。

年始ではあるが、今日の授業は「フリカエル」日。

受験生のために過去の駄文を恥をしのんで掲載することにする。

(以下は10年前の文書である。)

…2005年。今年を振り返る…。

この時期から冬期講習にかけて受験生と時事問題のまとめを行うのが、

毎年の恒例となっている。

ただ、例年と異なること、それは元旦から本日

(私は10月15日にこの文章を記している)

までの日刊紙を資料として積んであることだ。

ただ、何部かは悲しいことに夏期講習会の際、

理科実験のお供として連れて行かれてしまいましたが。

小6男子生徒に手伝ってもらい、トピックスを拾い上げると…

昨年末発生した「インドネシアの津波」「アメリカのハリケーン」「福岡や東京での地震」

といった自然災害や「JR尼崎駅脱線事故」「アスベスト」

のような人災が目につきます。

「上海での反日デモ」などの国際問題も新聞紙上を騒がせました。

明るい話題では「サッカーワールドカップ出場決定」もありましたね。

また、今年は戦後六〇周年ということもあり関連記事も多く見られました。

そして極めつけは何と言いましても

九月一一日の衆議院総選挙を頂点とする一連の「小泉劇場」。

下半期の話題を独占しました。

「そんな前だっけ?」と日付を見ていた生徒がつぶやいてしまうような、

年内の出来事なのに距離感を感じるものもありました。

自分の一年を振り返る…。

久しぶりにドストエフスキーの書物を読み耽った。

「耽った」というよりも半ば義務を伴った感が強い読書であったかもしれない。

読み返すきっかけは、国語担当の某先生が、

ドストエフスキーを一通り読破したという「噂」による。

凄い人だと思った。

また、ひどい人だと思った。

この人に出会わなかったら家の書斎に埋もれていたに違いない「ドストエフスキー」。

学生時代ロシア語をかじっていたこともあり、一応岩波文庫版は揃えてあった。

『カラマーゾフの兄弟』から手をつけ、『悪霊』『罪と罰』まで読み終えた。

おかげでタリーズコーヒーでの一時間読書が日課となった。

これら三作品で三六九九頁分あった。

『白痴』で四大長編にやっと区切りがつく。

やや忍耐強くなった自分を感じ、また全ての出会いに無駄のないことを

再認識させられた一年であったような気がしている。

ところで、『カラマーゾフの兄弟』のページを繰っている際、

偶然古びた「しおり」を発見した。

何と、大学一年時に受講した児童心理学の出欠用紙であった。

そこには当時の私の筆跡で氏名と講座名・教授名が記されていた。

字画が今より角ばっているように思われる。

私が大学に入学したのは一九八六年。およそ二〇年の歳月が経過している。

そこで二〇年前を振り返る…。

一九八五年。円高を加速させた「プラザ合意」、

冷戦終結の契機となった「ゴルバチョフ書記長」の登場、

そして予感としての「バブル景気」。

「阪神タイガース優勝」もありました。

鮮やかすぎるほどシャープな記憶、はたまた漠としたイメージ、

そして忘れてしまいたい思い出…。

年末の追憶はなぜか人心を感傷的にさせてしまうものです。

いったい子供の時分から何千回振り返っただろう。

そもそも人にとって「振り返る」ことに何の意味があるのか。

振り返るとは「省みる(よく考える)」ことであり、

そして「顧みる(後ろを見る)」ことでもある。

フランスの哲学者であるアランは、

スタンダールの『赤と黒』を毎年読み返していたそうだ。

彼は、同じ書物を毎年読むことによって、

さらに「天才であろうとなかろうと毎日書く」という労作を通して

自らの成長を確かめたという。

人はその時々の能力に応じてしか、人生を紐解くことは出来ない。

若いときに理解できなかったものに、一定の間隔を経て触れたとき、

思いもよらぬ感動が与えられたという体験は誰しもある。

結局「振り返る」とは、自分の人生に深みを与えている

「経験の積み重ね」への間断なき確認作業であり、

今の自分の生き方そのものにメスを入れる契機といえるかもしれない。