中学受験における第一志望合格率はおよそ30%程度と言われています。
もう少し詳しくいうと、ホームページの「Q&A」にも載せてありますが、
男子はおよそ4人に1人、女子が3人に1人程度と言われています。
サーパスでも、やはり男子の方がシビアな結果となるのは事実ですが、
模試での偏差値が届いていなかろうが、過去問で1度も合格が出ていなかろうが、
本人が行きたい!と志望している第一志望であれば、
最後の最後、入試前日ギリギリまで、そこに向けての勉強をさせて
強気に挑むのがサーパスのスタイルです。
(ハナから受かる気のない、ただの記念受験は別として)
憧れた学校、本当は行きたかった学校と言うのであれば、
結果を恐れず、やれるだけやったろうやないか!の精神で
逆境を跳ねのけてきた子もたくさんいます。
そのスタイルで、第一志望合格率が50%以上あるのは、
(もっと上を目指してはいますが)
そう悪くはないと思っていますが、いかがでしょうか。
ところで、少々脱線しますが、
(入るのが)難しい学校にこそ行く価値がある、などとは思っていません。
偏差値やネームバリューにとらわれずに、
自分が行きたいと惚れ込んだ学校に通ってほしいと願っています。
しかし、無理しないで身の丈にあった学校選択を、とも思っていません。
頑張り抜いたという経験が、結果以上に価値を持つこともある、
うまくいかないことを経験したり、乗り越えたり、乗り越えられなかったり…
にも価値がある。そんな風に考えているので、
まったくもって余計なお世話なのですが、
もし、少ない努力でも入れそうな学校を選んで、
頑張ることなく、頑張る気もなく、第一志望合格という結果だけを手にしたなら、
その後の人生に、どういう影響があるのだろう?と勝手に心配してしまうのです。
そういう余計なお世話の観点から、チャレンジ受験にも価値があるのではないか、
と、そんなことを考えることがあります。
受からないかもしれない学校を受験するなんて、ただ傷が残るだけじゃないか!
という考えもごもっともです。
しかし、例えば、「逗子開成に行きたいです!浅野は…憧れです!」という場合、
「初日の逗子開成で合格できたときには、3日の浅野に挑めるように、
浅野を目指して勉強しておいてはいかがですか?」
と考えるのは、傷を増やすだけの無駄なことでしょうか。
サーパスの公表している第一志望合格率は、
この場合で言えば、その浅野を第一志望とカウントして算出しています。
もし、こういう場合の逗子開成の方を第一志望とカウントしたなら、
ホームページに載せてあります第二志望合格率に近い数字になります。