母の実家がある長崎で僕は産まれた。
3年ほど、そこで生活していただけで、
その後は父の転勤で埼玉、奈良へと移り住み、
幼稚園の年長に上がる時からは東京(と言っても町田だが)にいたので
長崎で暮らしていた記憶など、ほとんどないけれど、
長い休みになると必ず帰省していた分、自分の故郷は長崎だと思っている。
祖父母の家が爆心地から近かったこともあり、
帰省の度、僕は平和記念公園と原爆資料館に訪れていた。
いつの記憶かは定かでないけれど、最初の印象は「怖い」だった。
真夏に冷房が効いていたから、というだけの理由ではなく、
背筋がひんやりと冷たくなったのを思い出す。
普通怖いものをもう一度見たいとは思わないものだと思うけれど、
怖いものみたさとは違う理由で、
ここは再度「訪れた方がいい」場所だと、なぜか幼いながらに思っていた。
はっきりした記憶はないが、今になって振り返ると
おそらく祖父か誰かの言葉に影響されたのだろうと思う。
小学校が3年生に上がった時、たまたま担任の先生が長崎出身だった。
そしてその先生は、原爆資料館の中でも販売されている
「かよこ桜」という本の作者でもあった。
先生との出会いがまた大きかった。
先生の授業は、と言っても教科書を使っての授業などあったかどうか。
体育と音楽以外、全て社会だった気がする(笑)。
毎日が社会科見学だった。
ある時は、小学校近くの川を行けるところまで下り、
川沿いに梨園を見つけると次回はその梨園を訪問し、
帰ってくると、それについて話しあったり作文を書いたり…。
そんな授業の中に、『長崎』という授業があった。
(もちろん授業で長崎には行っていない)
「訪れた方がいい」場所だと、ぼんやり感じていたものが、
「(何度でも)訪れるべき」場所へと変わったことをおぼえている。
一昨日11日、G7の外相が広島市の平和記念公園を訪れ、
原爆資料館を視察し、原爆慰霊碑に献花した。
核保有国(今回の参加国の中ではアメリカ・イギリス・フランス)の
現職外務大臣の被爆地訪問は史上初めてのことである。
その中で、アメリカの国務長官として初めて広島を訪問したケリー国務長官が、
「非常に大きな名誉だと感じたとともに、
感極まるものだったことを個人レベルで表明したい」
と述べられ、さらに原爆資料館を見学した後、
「人間としてのすべての感受性を揺さぶられる衝撃的な展示だった」
「この資料館は、われわれに核兵器の脅威を終わらせる責務だけでなく、
戦争そのものを避けるため全力を注ぐ義務があることを
あからさまに、厳しく、切実に思い出させる」
「すべての人が広島を訪れるべきだ」
と述べている。
アメリカの国務長官としての立場でできることには、
色々な縛りがあったかもしれない。
そしてこれがゴールではもちろんないし、
被爆された方やそのご家族がどう思われたかまではわからないけれど、
ケリー国務長官が一個人として述べられた言葉には、
人間味というか、じんわりと胸の奥に沁みるあたたかいものが感じられた。
長崎にせよ広島にせよ、訪れれば何かをきっと感じられると思う。