「月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり」(芭蕉)
ひと月前には、怒涛のごとく受験勉強に勤しんでいた生徒たちも
今や小動物のようにのたうち回り、親御さんにとりましては、
あまりの変わり果てように行く末を案じられているのではないかとお察し申し上げます。
しかし、安心して下さい。
大丈夫です。
あと数か月したら、生徒たちはガラッと変貌を遂げますから。
さて、今年の受験を振り返ってブログを書こうと、
今年度の受験結果表を眺めてみました。
というのも、先日のスナフキンさんのブログにあった「サーパスロス」ではありませんが、
教師からしても、「合格」と同時に、
毎日格闘していた生徒たちが「唐突に」いなくなるのですから、
しばらくは心にぽっかりと穴が開いたまま、
「喪失感」とも「欠落感」とも言えぬ、漠とした状況が続いてしまったからなのです。
すぐに言葉にはならないものです。
○○中学○○名…
んー、なんだか違和感がある。
それもそのはず。結果として表れる1とか2といった「数字」には
生徒たちと親御さんと我々教師たちの「関わり」は
到底還元できるはずがありません。
数では表せない、一人ひとりの「物語」を繙かなければならないのです。
そこで、受験結果表を裏返し、
これまでの4期生との数年間の軌跡を脳裏で遡ってみることにしました。
私が4期生を担当したのは、小学5年生からでした。
国語と社会のクラスを受け持ちましたが、
一方通行の授業を得意としない私としては、
「言葉のキャッチボール」を思う存分行うことができた
「名選手」ばかりであったように思っています。
彼らの予想外なイレギュラーバウンドで
何度か笑いすぎて「泣いて」しまうという失策をおかしたり(笑)、
時にはこちらから剛速球を投じて何人かの男子の目をウルウルさせたりと、
どの授業をとっても「名試合」であったのではないでしょうか。
「生徒は生徒であろうとすればするほど教師であり、
教師は教師であろうとすればするほど生徒である。」
という言葉があります。この4期生には本当に学ばせて頂きました。
一歩教師に近づけたのかなとつくづく思わされました。
「この入試の文章に感動しすぎて涙が止まらなくなって問題解けなかったよぉ!」
という、とある生徒の言葉が耳朶に未だに響いています。
このような感覚は答案用紙という二次元の世界には反映されないのかも知れません。
しかしながら、このような感性の生徒たちと出会うことが出来、
共に刺激しあえたことは、私にとってはかけがえのない宝であり誇りでもあります。
サーパスという選択をして頂いた親御さんには心より感謝しております。
このような場面で「奇跡」という言葉が輝きを増すのでしょうか。
生徒たちにとっての中学受験は、「乗り換え駅」のようなものだと言えます。
特急でひた走ってきた子もいれば、各駅停車でのんびりやってきた子もいます。
中には、切符を失くしたり、Suicaのチャージを忘れたりと、
はらはらさせられっぱなしの子も多々いました。
しかし、どのように到着しようとも、
全ての子たちはこの駅で乗り換えなければなりません。
ここは巨大なターミナル駅です。
生徒たちは、各々の路線に乗り換え、
次なる目標値に向かって新たな第一歩を踏みだします。
けれども時として、行先に不安が生じることもあるでしょう。
そんなときには「サーパス」という案内所に立ち寄ってみて下さい。
水先案内人になってあげられるはずです。
いつまでも生徒の皆さんの「原点」として、また、「根っこ」となって待っています。
さあ、思い切って出発進行!