10月4日の新聞に、「大学入試の新共通テスト、5〜6年後導入目指す」という記事があった。
それによれば政府の教育再生実行会議が、国公立大入試の2次試験から
「1点刻みで採点する教科型ペーパー試験」を原則廃止する方向で検討することが分かった。
1次試験で大学入試センター試験を基にした新テストを創設。
結果を点数グループでランク分けして学力水準の目安とし、2次試験からはペーパー試験を廃し、面接など「人物評価」を重視することで、各大学に抜本的な入試改革を強く促す狙いがある。
とのことであった。
そしてまた、このことについて下村文部科学大臣は「学力一辺倒ではない、人間力を判断する入試のあり方を議論していきたい」と発言した。
点数だけでその人を判断するべきではない。
多様な人材を発掘したい。
点数を取ることだけに特化した秀才タイプでは、自ら課題を持って研究するような人にはなりにくい。
などということが言われているようだ。
言わんとすることや、現状の問題点はわかる。
だが一方で、ペーパーテスト以外で公平性をいかに持たせるか。
何百人何千人の受験生の中から適正のある人を見抜く力を持った人が、果たして各大学にいるのか。
いたとしても限られた時間の中でそれは可能なのか。
など課題も多い。
また、言葉尻を捉えて揚げ足を取るつもりはないが、「人間力を判断する」ということになれば、このテストで不合格だった場合、学力が足りなかったのではなく、人間としての何かが足りなかったという風になりかねない。
これに対し、コラムニストの小田嶋隆さんは、「ノーベル賞の田中耕一さんを面接で落とさない自信を持っている者だけが、筆記試験に石を投げなさい。」
と発言し、さらには大阪の民間人校長が不祥事を繰り返していることとも絡め
「大阪市の公募校長ならびに公募区長は、市による面接試験を経て選抜された人材であるにもかかわらず、非常に高い確率で不祥事を引き起こしている。このことから得られる教訓は、面接試験が基本的に選考に当たる人間のデッドコピーを選抜しがちだということだと思う。」
と言っている。
もちろんテストの点数が全てだとは思わないし、1点でも多く取ることだけが勉強ではないのだが、人前に出るとあがってしまう人や、口下手だけれど一生懸命な人よりも、要領だけいいタイプや、アピールのうまい人ばかりが勝ち残れるシステムになってしまうのなら、それは違うと思う。
先生に気に入られるためにうまく振る舞って内申点を稼ぎ、学級活動やボランティアさえも点数稼ぎと位置付けてしまうような、そんな状況を助長しそうである。
5、6年先と言うとまだ長そうだが、今の6年生が大学受験をする頃だと考えれば、そう先の話でもない。
十分に議論をして欲しいと願うばかりである。