教室の空気②

さてさて、漢字の書き取りを腕立てにしてオッケーなわけはないのだけれど、
(クレームが来ていたら謝るしかなかったと思う。)
昭和の名残を残す平成だったからか、僕もこの子も責められることはなかった。

 

おぼえるべき漢字をおぼえていないのだから、
おぼえるまで勉強させるのが、受験塾の責務だろうと言われるかもしれない。
(野球)推薦で進学先が決まっているから、
そんな悠長なことをしていても許されるのだと思われるかもしれない。
真剣に勉強している周りの子たちに悪影響だと言う人もいるかもしれない。

まぁまぁ、普通はその通りだと思う。
ただ、この子はこの子で、慣れない勉強を頑張っていたし成長していた。
入試を間近に控えた同級生たちも、その腕立て姿をバカにしたりはせず、
迷惑に感じたりもせず、微笑ましく見ていた(応援していた)。

 

受験が近づくと特に「~しなければならない」「~すべき」が
(特に保護者の)頭の中を占めてくるけれど、
そればかりになると、どうしても息苦しくなるものだと思う。
だが、その息苦しさに耐え切ることを受験勉強のようには思わなくていい。
授業中や自習中、つまり誰かが勉強しているときに、
その傍らでお喋りしたり騒いだりするのは良くないと思うけれど、
一切の私語禁止!とか、笑顔すら見せるな!
というような緊張感に満ち満ちた空気作りが必要だとは考えていない。

真剣味が足りないのではないか?もっと必死にならないといけないのではないか?
我が子の様子を見ていて、そのようにお考えの方もいらっしゃるとは思う。
だが、これは塾でも学校でも、どこでも同じだと思うけれど、
その場所が、本人にとって安心・安全な居心地のいいところであれば、
その大切なところを乱したり、壊したりはしないと思う。

受験勉強をする場所、ときとして苦手なものにも取り組む場所のことを、
居心地がいいというのも変な話ではあると思うけれど、
自分がしんどいことにも取り組んでいくことをわかっているからこそ、
その場所には、安心感とか信頼とか、そういうものを欲するのではないか。
どこででも頑張れる人や、どんなときでも頑張れる人はいい。
だけど、全員がそういうわけではない。
人によっては、ここでなら頑張れるということもあると思う。
もし、そんな場所があるとしたら、その場所を大切にしたいという
共通認識みたいなものが出来上がっていても不思議ではないと思う。
そういう意味で、手前味噌というか、ちょっと調子に乗りすぎかもしれないが、
先述の腕立てをした子のいたクラスは、いい空気感のクラスだったと思う。

小学生より歳上の中学生であっても、まだまだ子どもであるし、
子どもらしくというより、それぞれが自分らしくいられるところなら、
笑顔がこぼれても不思議ではない。
また、それがイコール緊張感が足りないということにはならないと思う。
お互いを尊重し合えることで、厳しいルールや「~べき」論で縛らなくても、
適度な緊張感を保って目標に向かえるようになると信じている。