学校や塾のみならず、どんな習い事でも、こういうところはあると思う。
例えば、特進クラスと普通クラス、上級者クラスと通常クラスのように、
レベルでクラスが分かれている場合、それぞれの雰囲気がまったく違うということである。
もちろん、成績や技術、あるいは自覚がまだ十分に備わっていない子に、
上のクラスと同じテンションで、同じような要求をすることが正解ではないのはわかる。
例えば、特進クラスに受験を意識した応用・発展問題を大量に渡したからといって、
普通クラスに同じものを同じ分量渡しても、それに意味があるとは思えない。
まずは基本問題をきちんとこなしてからの話だろう、というのは当然である。
だが、僕が問題提起したいのは、そういうことではない。
与える課題の質や量の問題ではないのである。
確かに、「厳しくするとすぐに辞めてしまう」という時代ではある。
だが、普通クラスは、本人たちが楽しければそれだけでいいじゃん!
と、指導者側が勝手に決めつけていいものだろうか。
厳しいことを要求したり、そのクラスの子にとって少々ハードな課題を与えたりすれば、
苦しくなったり、潰れてしまったりする子も出てくるかもしれない。
要求さえしなければ、そういう子も楽しく続けられたかもしれない。
だから、ただ厳しくすればいいと言いたいのではない。
だが、頑張って成長したい、もっとうまくなりたい!と思っている子も、きっといる。
あるいは、本人にその気がなくても、周りが頑張っていれば、
その影響を受けて頑張り始める子も出てくるはずである。
「頑張ることはかっこいいんだ!」「頑張ることは素晴らしいことなんだ!」
そういう雰囲気を作ることこそ、そのクラスの指導者が尽力すべきことではないのか。
大の大人が子どものせいにして、手を抜いてはいないか?!ということである。
今やプロ野球の世界ですら、1軍の選手は必死に練習に取り組んでいる一方で、
(もっと頑張らないとクビになってしまう)2軍以下の選手には必死さが足りない、
などと言われることがある。環境が果たす役割は大きいと思う。
こういう話をすると、「だから偏差値の高い学校の方がいいんだ」と言われることがある。
だが、僕が思うに、この点に関して学校の偏差値は関係ない。
どんなに優秀な進学実績を誇る学校であっても、
「勉強をやらない人のことは知らない。好きにやらせておけばいい」
「まぁ、いざとなったら他の学校に行ってもらえばいい」
と公言するところだってある。
特に大学受験などは、そこに行きたい人が頑張ればいい話なのだから、
個人個人が頑張るか頑張らないかだけの問題だ、とも言える。
けれど、それでは一体、中学・高校は何のためにあるのだろうと思う。
一生懸命勉強して、その学校に憧れて入学してきた子たちを、
もしそうやって放置するのだとしたら、それは違うんじゃないかと思うのである。
もしかしたら、サーパスは子どもに対する要求が厳しいと思う人もいるかもしれない。
だが、子どもの学力や能力がまだ十分に備わっていないからといって、
大人が勝手に「この子たちは頑張らせなくてもいい」と決めてしまうのは違うと思う。
「楽しく通ってくれているから、それだけでいいじゃん」とは、僕には思えないのである。
