京都市が市立中学校の部活動を令和10年(予定)で廃止する
というニュースが話題になっている。
部活動を廃止し、その役割を地域クラブに移行するという取り組みが、
果たしてうまくいくのかどうかはわからない。
ただ、現在の学校における先生方の負担を考えれば、
きっと仕方のないことなのだろう。
現場の大変さを知らない外野が、無責任に口を出すことは憚られる。
ところで、先生方の負担どうこう以前に、
最近、部活動そのものに対する子どもたちの向き合い方も、
ずいぶん変わったように感じている。
「部活に打ち込みたい」「部活に青春を捧げたい」
大袈裟に言えば、「学校には部活のために通っている」と言ってしまうような、
昔はそれほど珍しくなかったタイプの子が、だいぶ減ったように思う。
私学の説明会などで学校にうかがうと、
校舎の壁に「部員募集」のポスターが貼られていることがある。
ところが、今や週5日、週6日で部活動をやっているような学校はほとんどない。
「活動は週2回」「先輩後輩の仲が良い」「ゆるい部活です!」
「真面目に取り組んでも、取り組まなくてもOK」
……なんとも「今どきだなぁ」と思う言葉が並んでいる。
もちろん、週5日、6日と部活があって帰宅が遅くなれば、勉強に支障が出る。
でも、じゃあ、週2回しか部活がなかったら、残りの5日は勉強しているのか?
といったら、そうでもないと思うわけで・・・。
もちろん、頑張るのは部活じゃなくてもいい。
ただ、純粋に、それこそ少しくらい盲目的に、何かに打ち込んでほしいなぁと思う。
だが、そう思うこと自体が、もう時代錯誤した「老害の戯言」なのかもしれない。
しかし、例えば漫画や小説の世界を見てみると、
高校生や中学生の部活動を題材にした作品は、今でもたくさんある。
そして、そこに登場する子どもたちが、何かに夢中になり、
仲間とぶつかり、喜んだり悔しがったりする姿に、私たちは胸を打たれる。
人によってはそこに懐かしさをおぼえ、人によって後悔に近い感情を抱くのは、
その時期にしかできない何かがあるからなのではないか。
感受性の豊かな10代だからこそ、あれほど一つのことに夢中になれる。
そのときだからこそ経験できることが、きっとある。
大人になってから、「さあ、青春を取り戻そう」と思っても、そうはいかない。
あの青くさい一生懸命さにはきっとなれない。
人間関係を無難にこなす処世術を身につけた、怪我のリスクばかりの体では、
夢中になることは難しい。
10代の頃に部活動のようなものに夢中になった経験があるのとないのとでは、
その後の人生に、何かしらの違いが生まれるのではないかと思っている。
いや、正直に言えば、私はそこに、かなり確信に近いものを持っている。
外野が口を挟むのは憚られると最初に言っておきながら、
部活がなくなるのはなんとも寂しい。
外部に委託すれば、お金もかかる。参加できない人もいるかもしれない。
また、公立と私立とで事情は違うと思うし、知ったようなことは言えないけれど、
例えば宿題管理や、補習や追試といった勉強面の要求がハードになれば、
部活などは優先順位が下であると、切り捨てられることもあるかもしれない。
だが、大人になってからでは取り戻せない「熱」がそこにはあって、
それはむしろ優先順位の高いものなんじゃないかと、個人的には思うのである。
