推しのアイドルのコンサートに行くと、
「絶対目が合った!」とか、「愛してるって言われた!」などと、
目をハートにして帰ってくる人がいる。
「紫耀くんに死ぬなよ!って言われた~!」
と、テンションがやけに高い人は、サーパスのアルバイトメンバーにもいる。
「みんなにかけた言葉でしょ?」なんて言おうものなら、
「は?」「見てないのに言わないで!」「絶対私に向けて言ってた!」
「目が合った時に言われたもん!」と、倍返し以上の大ブーイングが返ってくる。
一方、その昔、ある先生が、ある一人の生徒の姿勢を注意したくて、
しかし、その注意は全体にもしておきたいものだったからと、
(みんなのいる前で)全体への注意という体で話をしたことがあった。
ところが、後になっても、その子の姿勢が全く改まらないので、
いよいよ呼び出して、「こないだ注意したよね?」と確認すると、
「え?あの話は僕にしたんじゃなくて、みんなにしたんじゃないの?」
と、世にも恐ろしい言葉が返ってきたことがあった。
注意だろうとアドバイスだろうと、そりゃぁ聞かない自由はあるけれど、
まさか、みんなの中に自分が含まれないという解釈もあるんだ!と驚愕した。
強靭なメンタルというよりは、心を無にしてやり過ごしただけかもしれないが、
もしかしたら、それまでの人生で怒られ過ぎたことで、
自分を保つために心を麻痺させているのだろうか・・・と思ったりもする。
ちなみに、上で書いた「全体に向けて注意したときの話」の続きであるが、
そのとき、その注意を聞いて、涙した子が数名いた。
その子たちは、元から姿勢の良かった子たちだったのだが、
その子たちは、そこからさらに姿勢が良くなった。
シビアな話になってしまうが、成長する可能性が高いのは、
この全体に向けて話したことさえ、自分事として捉えられる後者の子たちである。
「1対1で話したときは伝わる」ということであれば、まだいい。
前者の子にも伸びる可能性がある。
だが、1対1で注意しても伝わらない。伝わらないどころか、
ただ「怒られた」「嫌だった」という感想にしかならないのであれば、
注意した方にもされた方にも、良いことが1つもない。
もちろん、注意した方が100%正しいと言いたいわけではない。
言い方が適切だったか、注意するタイミングはどうだったか、ということもあるし、
そこまでの人間関係によっては、どんなに正しいことを言われても、
首を縦に振れないことはある。
平たく言えば、注意する方の人間力・人間性も関係する。
だが、それはそれ、これはこれである。
何かしらの注意をされたときに、
「僕に対する注意の仕方が悪い!」「その言い方じゃ私は直す気が起きない!」
と、注意された側が注意した側の批判をしていても、それでは成長できない。