サーパス生の話ではないのだが、同じように塾で仕事をしている知り合いから、
「開成に合格できる可能性も十分あると思われていたのに、
開成、聖光、浅野と続いて合格できず、その後も合格がかなわなかった」子の話を聞いた。
その先生の見立てでは、戦略(スケジュール)ミスではないとのことだった。
抑え校での合格は間違いないし、いつも通りの力を出せれば、
全勝もありえると思っていたとのことだった。
模試の成績も過去問の結果も、日々の努力も姿勢も、
十分にその合格にふさわしいレベルに達していたという。
「何がいけなかったの」
その子やその親御さんは考えるかもしれない。
だが、その先生やその塾が太鼓判を押すくらいの子だったのだから、
何もいけなくなかったのだと思う。
大人は、もっとできたんじゃないかとか、違うやり方があったんじゃないか、
と思うかもしれないが、そういうことではない難しさがあるのだと思う。
こと小学生に関しては、こういうことは往々にしてあり得てしまう。
中学受験の、難しく酷な部分であると思う。
よく聞く話であるが、もしもう1回開成の入試をやってもらえたら、
合格者と不合格者が結構入れ替わるだろうと言われている。
大学受験のように、A大学の試験とB大学の試験の間に数日あれば、
心の切り替えも、何かしらの準備もできるかもしれないが、
東京神奈川の中学入試は、2月1日から5日まで連続している。
試験の結果を知ってすぐに(あるいは知らずに)、次の試験に臨むことになる。
初日の入試で何があったかは誰もわからない。
当の本人だって思い当たるものがない可能性はある。
緊張して頭が真っ白になったのなら自分でもわかるが、
気持ちがたかぶり過ぎたとか、「できた!」と思ったときは、案外気付けない。
また、初日の問題を「難しかった」「できなかった」と感じたとしても、
次の試験は別の問題なのだから、初日の問題の難しさは翌日以降に関係がない。
しかし、不安になったり、自分(の力)を疑ったりし始めると、力を出せなくなる。
あるいは、平常心でやったけれど、力も出せた気がするけれど、
1問のミスや取りこぼしで、ただ届かなかっただけかもしれない。
とにかく、1つのボタンの掛け違いで空回りしてしまっただけ、というときに、
小学生が自分で状況を立て直すことができるだろうか。
もっと言えば、親(大人)がかける声で子どもを必ず立て直せるだろうか。
そう考えると、この難しさがわかると思う。
何もいけなくないのだ。
会ったこともない子だけれど、最後までよく頑張ったと思う。
ずっと頑張ってきたことと、苦しい中でもやり抜いたことを、
「頑張って良かった」と思える日が必ず来る。