ところで、「東大生は、親から『勉強しなさい』と言われたことがない」
という話を聞いたことがある人は多いと思う。すると、
「優秀なお子さんはそうかもしれないけど、ウチは言わなきゃ勉強しない!」
と、こういう反論が出てくる。言わんとすることはわかるけれども、
ここで、我が家ではそれはできないとすぐに跳ねのけるのではなく、
「勉強しなさい」と言わずに済む方法について、
どうしたら、そんなことが可能なのか?と考えてみることが大切だと思う。
すなわち、我が家には我が家の状況があって、東大に行くような家とは違うんだ!
とすぐに結論づけてしまうのは、はなから変化を否定しているだけで、
もったいないのではないか?ということである。
目の前の課題をやらせたいだけなら、「勉強しなさい」の一言が手っ取り早い。
だが、手っ取り早く役立つものは、すぐに役立たなくなる。
そのやらせ方での勉強は、学力が身に着かないという意味でも役立たないが、
別の意味でも、すぐに役立たなくなる。
今日、その場では、無理やり勉強に向かわせられたとしても、
また、次の日には、その一言を発する必要がある。
前日の言葉が成長や気づきに繋がっていないという意味で、
次の日には、もう役立たないやらせ方であると言えるのではないか。
つい先日、ダイヤモンドオンラインにあがった記事もご紹介したい。
https://diamond.jp/articles/-/343677
自分が教わってきたこと、体験してきたことだけで考えていると変われない。
他の方法論を知らないから、押し付けちゃう。
元ソフトバンクの(プロ野球)監督、工藤公康さんの話であるが、
こういう人間の性質を踏まえて、自分の方が変わろうとできるかどうか。
まさにそれ次第だと思う。
子どもだけでなく大人も、むしろ大人の方が、自分の経験で判断しがちだ。
サーパスでは、本当にしつこいくらい力説する「音読」であるが、
これだけお伝えしても、やっぱりその通りにしてくれないことは多い。
親世代が、音読をしたことがない、国語の勉強といえば問題集を解いただけ、
ときには、国語は漢字や古典しか勉強したことがない、普通に生きていればできた…
などと思っているので、自分の経験則から、音読の必要性や効果を感じてくれない。
勉強はできるようになってほしい、しかも自分からやれるようになってほしい、
そして、最終的に良い学校に合格してほしい…と思い、
「どうしたらいいですか?」と聞くのであるが、それに対して、
「勉強しなさい」と言わないでください!
「音読」を毎日欠かさず続けてください!
と言うと、それはできない!我が家の状況は…となる。
ちなみに、「勉強しなさい」と言わないように頑張ったけれど、
遂に堪忍袋の緒が切れて「勉強しなさい!」と言ってしまった!
という状況を否定しているわけではない。
子どもが自分の経験や自分のやり方に固執して、はなから指示通りにやらず、
その結果、成長の機会を逃すことに対しては、
「なんで言われた通りに素直にやらないんだろ?」と首を傾げるのに…
ということである。