中学受験は、もしかしたら、数ある受験の中で最もキツイ受験かもしれない。
大学受験も、もちろんキツイ受験なのだけれど、
大学受験をするときには、受験する当事者が17、8歳以上になっているので、
自分の実力や、性格的なことをだいぶ(自分で)把握できている。
頑張るのも頑張らないのも自分次第。だから、不合格という結果が出たときでも、
努力が足りていなかったこととか、認識の甘さだとか、
そういう何かしらの原因を自分の内に見つけることができる(可能性が高い)。
また、そもそもの話で言うと、実力不相応なレベルのところについては、
最初から受けることを考えないか、受けることにしたとしても、
ダメ元で受けることを自分でわかった上での受験なので、
不合格になったとしても、受け入れられる(可能性が高い)。
しかし、中学受験をするのは、まだ若干11歳12歳の子どもである。
しかも、多くの子が、人生初の受験である。
自分の実力がどれほどかもわからず、どのくらい頑張ったらいいのかもわからず、
受験勉強に取り組むのである。
例えていうなら、初めてのマラソンにぶっつけ本番で挑むような難しさがある。
どのくらいの速さで走り出したらいいのか、同じペースで走り続けた方がいいのか、
それで最後まで体力が持つのか、何に気を付けたらいいのか…
どこがゴールなのか?さえ、よくわかっていない状態でスタートしたような、
そういう勉強かもしれない。
また、そうだからこそ、その幼子(おさなご)をサポートしなければ!
ツライ思いはさせまい!と、自分事のように頑張ってくれる親御さんがいるのも、
他の受験との違いである。
しかし、子どもは大人のようには先を見通せない。
(大人が見ている)未来から逆算して、転ばぬ先の杖を用意したところで、
転ばないとわからないこともある。
結果として、計画的、戦略的には勉強に取り組めるはずのない子どもと、
入れ込み過ぎて、焦ってしまう大人との間に、ギャップが生まれる。
『鬼』と思われようとも、我が子のために悪役をかってでた親は、
いつか輝かしい未来に繋がると信じて「勉強させる」ことを選択し、
子どもは子どもで、「勉強させられる」ことを受け入れる。
しかし、それで結果が合格ならまだいいのかもしれないが、
中学受験はデータ上第一志望合格率が3割程度なので、
その倍以上の子が、不合格という結果を目にすることになる。
このとき、親は「あんなに(我が子は)頑張ったのに…」と思い、
子どもは「あんなに頑張らされたのに…」
「なんで?」と思う。ここが中学受験のキツイところである。
目指した学校に不合格だったときに、積み重ねた努力の量と質を振り返り、
足りなかったものを自分自身で認識し、理解し、納得できる(するしかない)であろう
大学受験との違いをお分かりいただけるだろうか。
繰り返しになるが、第一志望に合格する子は3割しかいない。
その倍以上が第一志望には合格できない中学受験において、
受験勉強をどういう形で締めくくるか、ということこそ、
周りの大人が考えておくべきことだと思う。