私は長ネギが嫌いである。苦手ではなくて、嫌いなのだ。
しかも、我慢すれば食べられるというレベルの嫌いではない。
口に入れるのはもちろんのこと、臭いを嗅ぐのもイヤである。
だから、長ネギが視界に入った時点で、臭いがするように感じて距離を取る。
しかし、横須賀線などには、長ネギの飛び出た買い物袋を手にした方がいる。
混雑した車両であったりすると避けようがない。
長ネギはご自宅近くのスーパーで買っていただきたいと心の中で願っている。
それで、この長ネギが嫌いであるという話をすると、
「なんで?美味しいのに!」「食べてみなよ!」などと言ってくる人が現れる。
「嫌いだと言っているのに食べてみなよ!?」「Why!?」である。
人の嫌がることをしてはいけない!と言うではないか!
その次は決まって「すき焼きとかに入れたら美味しいじゃん!」「焼いたら甘いよ!」
などと、食べ方をレクチャーしてくる。
しまいには、なんだか楽し気な表情で「え?なに?ラーメンとかどうするの?」
「味噌汁は?」「刻みネギもダメなの?」「味しないじゃん!」
と、ネギを嫌いなことが悪であるかのように責めてくる。
他方、世の中にはピーマンが嫌いな人やセロリが嫌いな人など、様々いらっしゃるが、
これらの食材が嫌いなのは、比較的賛同を得やすいようで、
長ネギ嫌いほど責められるのを見たこと、聞いたことがない。
しかも、これらの食材は、自らの意思で遭遇率を下げられるが、
長ネギは有無を言わさずに最初から料理に入っている場合が多い。
中華料理に至っては、塩コショウと同レベルで使用されている気がする。
大体、刻みネギは「味しない」とはどういうことか。味覚がおかしいのではないか?
味がしないなら、わざわざ料理に入れなくてもいいだろうし、
こちとら、ちゃんとネギの味を感じられる繊細な舌を持っているのだ。
付け加えるなら、味だけでなく、臭いも触感(歯ざわり舌ざわり)も全てが嫌いなのだ。
だから私は声を大にして言いたい。
「では、あなたが食べてくれたらよろしい!」
ものすごくお腹が空いているとき、しかし食べ物が長ネギしかないというときにでも、
私は空腹を選ぶ。その長ネギについては喜んであなたに譲ろう。
それを好きな人がいる一方で、嫌いな人がいるから、取り合いにならずに済む。
作っているお百姓さんの気持ちを…云々言う人もいるが、
お百姓さんだって、美味しく食べてくれる人に食べられた方が嬉しいだろうし、
長ネギ自体だってその方が本望だろう。
「人生の半分損してる!」などと言う人もいるが、
あなたの人生の半分は長ネギなのか!?それこそ随分トリッキーな人生ではないか!!
お酒もタバコもやらない。長ネギ以外の野菜は問題なく食べる。
それでも長ネギを食べないといけないというのだろうか。