以前の6年生の秋の面談でのこと。
お母様「過去問で算数が取れてませんが、大丈夫ですか?」
私 「最終的に8割までは取れるようになるから大丈夫ですよ」
お母様「本当にそんなに取れるようになるんですか?」
私 「8割まではいきますよ。そこから上は、まだ課題がありますけど」
お母様「どうやったら8割いくんですか?信じられないんですけど…」
私 「言ったとおりにやることをやってくれていたら、なりますよ」
お母様「先生はその道筋が見えてるのかもしれないですけど…」
お母様「受かりますか?」
私 「受かりますよ。受験に100%はないですけど、90%は受かりますよ」
お母様「言いましたね!それで受からなかったら、どうしますか?」
私 「謝ります!」
お母様(苦笑)
さて、このとき、お母様からは「先生は自信があるんですね!」とも言われて、
「ありますよ!」と即答したのだが、サーパスがホームページ上でもうたっている
この『自信』について、少し詳しく述べようと思う。
「自信がある」というのは、私たちの塾は完璧である!という意味ではない。
完璧だなどと自惚れた時点で、そこからは衰退しかない。
まだまだ塾として改善すべきこと、個人として学ぶべきことが
たくさんあることを私たちは自覚している。
だが、「受かりますか?」と聞かれて、自信無さそうに返答する先生を、
「なんだか正直で信頼できるわ!」と思えるだろうか。
少々ハッタリをきかせてでも、自信があるように見せた方がいいのではないか。
まぁ、サーパスは何事においても、正直といえば正直であるので、
(賛否両論はあると思うけれど)ハッタリは使わない。
受かりそうもないと判断している場合も、正直にそう伝える塾である。
おべっかや甘い見通しで、その場しのぎの返答をしないことを良しとしている。
だから、この「受かりますよ」には、こちらなりの根拠がある。
それは、サーパスの指導の質そのものへの自負でもあるが、
その子の頑張りをきちんと見ていれば、自ずと導き出せる回答でもある。
だから、この『自信』は、その子のことを見ているという『自信』なのだ。
また、その子のことを見ているという『自信』については、こうも言える。
私たちは、自分たちの塾を一番の塾にしようと思ってやっている。
つまり、一番良い塾であろうとすることが大事なのだと思っている。
他を貶めるという意味ではなく、仮想のどの塾よりも子どものことを見る、
それはどこにも負けないということが、サーパスの『自信』である。
逆に言えば、
もちろん、謙虚さを失ってはならないし、足元は常に見つめないといけないが、
自分たちの塾が(少なくとも東戸塚で)一番だと思えていないのだとしたら、
ウチではない、一番の塾を勧めるのが、子どものためだと思う。