小学生のうちに勉強する意味④

「人の話をちゃんと聞く」ことができるようになったら、
「考える」ことについても練習させたい。

最初のブログで例題として紹介した「植木算」であるが、
「60mの道の端から端まで21本の木を等間隔に植えたい。木と木の間は何m?」
という問題を、60÷21=2.85… と、やってしまう子は、
木の本数で割り算してしまうこと自体、植木算を理解できていない。
だが、この子の算数力に問題があると決めつけるのもよくない。
また、「ちゃんと考えて!」「もっと考えなさい!」なんて言ったところで、
どう考えていいかわからない子は、考えようがない。

 

ではどうしたらいいかを詳しくお話しするために、もう1問紹介したい。
「2mの丸太を4つに切り分ける。1回切るのに15分かかる。何分で切れるか?」
これまた「植木算」の一種であるが、
これを解けない子は、算数力がないというよりも、
そして、読み取る力や考える力がないというよりも、
丸太を4つに分けた絵が頭に浮かんでいないのではないかと思う。

もっと簡単な例にできるかどうかも、1つの力である。
1本のひもを2つに切り分けようとしたら、切る回数は……
1回で済む!(2つに分けるのに2回切らない!)
と、こういうことに自分で思い当たる子は、算数と実生活を結びつける力がある。
逆に言えば、これを説明されてようやく「そうか!」と思う子や、
説明されても全くイメージのつかない子では、
先ほどの問題を「ちゃんと考えて!」などと言われても、自力で解くのは難しい。

 

つまり、(子どもに)自分で考えられるようにさせたければ、
「こうやって考える」という考え方の手がかりや、順番を示して、
経験を積ませていかないといけない。
誰もがひとりでに考えられるようになるわけではないのである。

しかし、ここで難しいのは、経験を積ませたいからと、
宿題や課題を大量に出してしまうと、考えることのないただの作業になってしまう。
また、自分の頭で考えさせることは大切だけれど、
その子が我流に固執してしまうと、残念ながら、あまり伸びない。
正解を出せることもあるかもしれないが、たまたまかもしれない。
だから、教わったことを素直に真似することで、
考え方の土台を学んでほしいと考えている。

 

こうやって、「話を聞いて」「考える」という下地ができてくれば、
そこからは、そんなに困らないというか、
子どもが自分の力でどうにかできるようになってくる。
自分の意思で、自分の人生の選択肢を増やしていけるようになると思う。
逆に言えば、下地が無い状態だと、用意された選択肢しか選べないとか、
仕方なく消去法で選択せざるをえないという可能性が増すように思う。

正しい勉強法を身に着けてほしいのは、中学受験のためではない!とも言える。