逆張りをしたいわけではないのだが、
他人の『成功体験』ほど役に立たないものはない!
という感覚も、どこかでは必要である。
例えば、入試前日まで、毎日ゲームをしていた子が第一志望に合格できたとする。
それで、その子が「息抜きは必要!」と言った場合、
このアドバイス(成功体験)を参考にするだろうか。
上の例は極端だとしても、では、
「最後の半年間は、毎日10時間以上勉強した」
「睡眠時間は毎日6時間で頑張った」
「塾のテキスト以外にも参考書を〇〇冊やった」
「特別講座は全て受講した」
「他塾の志望校特訓講座にも参加した」…
これらの話をどこまで参考にするだろうか。
上に書いたようなことを、子ども自身が自ら計画立ててやったのだとしても、
親が管理してやらせたのだしても、どちらにせよ、
この方法でみんながみんなうまくいくとは限らない。
いや、むしろ、そもそもの話になるが、
何をもってうまくいった(成功した)というのかという話になる。
すなわち、成功体験として話されるこれらの話で、
主語となっている子にとっては、うまくいった話だったとしても、
その話を聞いている子にとって、
それが望んでいる未来に繋がるかどうかは、全く別の話だ。
まぁ、こういう場合、うまくいったというのは、
「第一志望に合格した」か「偏差値の高い学校に合格した」
ということを示す場合が多いのだと思うけれど、
第一志望はその人その人で違うし、偏差値を高いと思うかどうかも人によって違う。
(偏差値60を高いと思う人もいれば、そう思わない人もいるということ。)
まだ、自分の志望校に合格した先輩の成功体験なら、参考になると思うかもしれない。
だが、途中過程での成績、あるいは基礎学力や処理能力やらは、
やっぱり人によって違う。
国語が得意で、特別な対策を取らなくても点数を取れてしまうような子が、
その自分の長所については明かさずに
「夏は算数に特化して勉強した!」と言ったとする。
それを、国語を苦手とする受験生が鵜呑みにしてしまったとすれば、
きっとツライ未来が待っているだろう。
自分の志望する学校に合格した先輩のアドバイスさえ、
自分に合うかどうかはわからないのだから、赤の他人の、
それこそネットに飛び交うような、誰を対象にしているかもわからない
アドバイスや情報を参考にしてしまうのは、
冷静に考えたらリスクしかないと思う。