国語を苦手とする人が、10年前と比べてもまた随分と増えた。
一因は、語彙不足にあると感じている。
学生の頃の英語の授業で、
「長文を読む際に、一行にわからない単語が二語以上出てくると、
内容を理解できなくなるよ!単語力は大事だよ!」
と言われたことがあるが、このように、英語の勉強においては、
単語の意味をおぼえていることが大事であり、
おぼえていない言葉が出てきたら、辞書をひくことが必須である。
最近は、電子辞書で済ませる人も多いのかもしれないが、
親世代なら、英和辞典、和英辞典、英英辞典…と常備していたのではなかろうか。
ところが、同じ語学なのに、国語ではそれを怠る人が多い。
なんとなくこんな感じの言葉かな?で済ましてしまう。
前後の文脈で大体わかると高をくくり、辞書をひかず、
結果、語彙を増やさないでいる人が多い。
話が少し飛んでしまうが、中学生までは国語が得意だったのに、
高校に入ってから国語(現代文)が苦手になったという声をよく耳にする。
これも、実は同じ理由なんじゃないかと思っている。
少し暴論が過ぎると思われるかもしれないけれど、怖れず書いてしまうと、
普段、日常生活を送る上で必要な語彙レベルは、
中学生レベルくらいまでで、大体どうにかなりそうな気がする。
要するに、その人の持つ語彙力は、日常生活では明るみに出ることが少ない。
だが、高校の授業で扱う評論や、大学受験に出題される文章の中には、
日常生活で目にする(耳にする)頻度の低い言葉も多い。
つまり、高校生になって国語でつまずいた人は、
語彙レベルが、学年相応レベルに追いついていなかったから…
という原因があったのかもしれない。
何を言いたいかというと、子どもの語彙の少なさを目の当たりにすると、
「え?この言葉も知らないの!?」と唖然とすることがある。
だが、唖然としたその人自身も、はたしてどこまで語彙力があるのか。
小学生に語彙力で勝ってドヤ顔してもしょうがない。
語彙はいくつになっても増やした方がいいと思う。
斎藤孝氏に言わせれば、「語彙力こそが教養である」のだ。