ウチの子は集中力がないとか続かないとか、そういう話をよく聞くが、
そもそも集中力があるって、どういうことだろうか。
小学生の頃に読んだニュートンの伝記には、
「ニュートンが研究をしながら、ゆで卵を作ろうとしていた時のこと…
その茹で時間を懐中時計で計ろうとしていたら、
研究に夢中だったニュートンは、
懐中時計をお湯で茹でて、卵を手に握りしめていた。」
と、こんなようなことが書かれていたと記憶しているが、
ニュートンの研究に注ぐ集中力は、常人の比ではないのだろう。
ゲームが大好きな人は、ゲーム中に呼びかけられても気付かない。
時間の経過もわからないし、食欲も便意も後回しになる。
読書が大好きな人も、おそらく同様だろう。
対象が何であったとしても、このようにグッと入り込める人なら、
集中力はあると言えると思う。
だが、受験勉強については、この集中力では、ちょっと問題がある。
例えば、入試当日、テスト中に時間の経過がわからないのは危険であるし、
あるいは、家庭学習についても、好きな科目に熱中するあまり、
それだけで一日が終わってしまったら、他の科目の勉強時間を取れない。
受験勉強に限った話ではないが、要は、集中力というものは、
何か一つのことだけに集中して注がれるべきものとも言えないのだ。
突然、野球のピッチャーの話をする。
例えば、大谷翔平選手がボールを投げるところを想像して欲しい。
あるいは、実際、ボールを投げてみて欲しい。
さぁ、その時!ボールを投げる手と逆の手はどこにあるだろうか?
聞きかじりの知識で申し訳ないが、
右手でボールを投げる際は、その前段階で、左腕は肩よりも高い位置にあり、
その左手を脇の方にグッと引っ張って胸を張ることで、右腕を強く振れる。
しかも、左手を脇の方にグッと引き寄せたタイミングで、
その左手をさらにギュッと力強く握りしめると、投げる方の右手にも力が入る。
(ということらしい。)
実際の試合の時、特に白熱した試合の終盤なんかでは、
キャッチャーミット目掛けて、一心にボールを投げ込むだけになりそうだが、
だからこそ、練習のときや、これから試合が始まるというときには、
高い位置に上げる左腕や、投げるタイミングで引き寄せる左手に、
意識を向けることが大切なのだと思う。
このことは、勉強にもあてはまる。
例えば、国語の勉強をするとき、あるいは、
国語のテストがこれから始まるというタイミングなら、
「よく読もう」「丁寧な字で書こう」「記述では文末に気をつけよう」
のように、気をつけたいポイントを自分に言い聞かせるだけでも、
かなり効果的だったりする。
要するに「集中力」は、ただ集中すればいいということではなくて、
実は、準備の仕方とか、意識の持ち方で変わるものなのだと思う。