可能性という言葉の持つ無責任さ(長文)

成績の上がり方は、時間をかけたらかけた分だけ、少しずつ上がっていくイメージをお持ちの方が多いかもしれないが、そんな単純なものではない。

 

勉強していても、どうにもこうにも停滞する時期があって、それでも何とか食らいついていく。

すると、ある時、急にできるようになる。
今まで苦戦していたものに対して、見え方が変わってくることがある。

 

壁を超えた瞬間である。

 

ステージが2つも3つも違う訓練をしていても、こうしたレベルアップはほぼ起こらないが、実力に見合った訓練をしていくと、それまでの自分を超える瞬間に何度か立ち会える。

 

今を超えて、その先へ。

 

この言葉は、闇雲に、道なき道を進むことを奨励するものではない。

 

今を超えて、その先へ辿りつくことが出来れば、見えてこなかった世界が広がっている。
その世界であれば、閉ざしたはずの道も、また見つかるかもしれない。

 

それも、太く、確かな道となって。

 

一見、遠回りをしているようでも、遠回りをしたことで成長してくれれば、結果的に最短距離になっていることもある。

 

可能性を絞り込んだからこそ、実現できる成長。

成長した自分だからこそ、手にすることが出来る確かな道。

自分を超えた経験を携え、自信を持って堂々と進んで欲しい。

 

だから、今は、目の前のことに力を注ぐことに集中すべきなのだろう。

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